5.

酒場の主人は困り果てていた。
侏儒の住処まで無傷で辿り着く事が出来た、これは上出来だろう。
現在の負傷者は数名。 制止を聞かずにうかつに城壁に近づいた数名が、上から熱湯をかけられた。 自業自得とも言えるので、これもまぁ良しとしておこう。

ここまではいい。

目の前の城門は、ぴったりと閉じられていた。

(やる気ねぇのか?)

そうとしか思えなかった。 現在村人達は、石造りの城−侏儒の住処−の前の広場に陣取っているが、侏儒は矢の一本も射掛けて来ない。 無抵抗で服従するつもりはなさそうだが、それ以上の事は望んでいないように思えた。

酒場の主人は、城壁の上をちらりと覗う。 何体かの侏儒が、こちらを覗っていた。 声の一つすら聞こえない。 そもそも侏儒が声を上げるかどうかは疑問だったが、自分達の領域に攻め込まれていると感じている様子でもなかった。 有害な獣の群れが住処の前に集まった…そんな風に見ているフシすらある。

(どうしろってんだ…)

いくら城のような建物とは言っても、ここまできちんと城として機能するものではないだろうと高をくくっていた点は認める。 しかし、攻城兵器の一つもないのではどうしようもない…いや、元々まともにやりあうつもりはなかったのだから、わざとその点に言及しなかったのは事実だが、こんな事になるとは思ってもみなかった。

(空気読んでくれよ…)

無理としか言いようが無い思いを侏儒に対して向けつつ、酒場の主人は顔をしかめる。
最初に熱湯を浴びせかけられたのに懲りて、村人達が城壁に近づこうとしなくなったのはいい。 余計な被害を避けられる。しかし、退くに退けない状況でもあった。 矢の一本でも飛んで来れば、それを理由に村人達を退かせる事が出来る。 なのに、石の一つも飛んでこない。 城壁に向って矢を射掛けてみた者も何人かいたが、全て無駄に終わっていた。 そもそも侏儒は的として小さい上に、危険を感じるとすぐに陰に隠れてしまう。

攻めるに攻められず、かといって退くに退けない。

そう言う他なかった。
酒場の主人は、ちらりと村人達の方を覗う。 何もかもが想定外で、どうしようもない。

(こいつらがやる気をなくして、帰りたいって言い出すまで待つか)

どれだけ時間がかかるかは判らないが、それが最善の選択のように思えた。 まさか夜を越してまで、この場に陣取り続けようとする者はいないだろう。 説得する事も考えたが、そうしている最中に侏儒が攻撃をしかけてこないとは限らない。 侏儒の側の動きには、常に気を配っておく必要があった。

(たぁ言っても…昼寝でもしてぇな…)

酒場の主人が、そんな事を考え始めた時だった。

「何をやってるんだ、あんたらは…」

どこからか、男の声が響いた。 声のした方を見ると、北の方角から、一人の青年がこちらに向って歩いて来ている。彼は、酒場の主人達が今いる場所と、広場と森の境界のちょうど真ん中くらいまで来ていた。 今の今まで、そんな気配は全く無かった筈だが、彼が現にそこにいる事は間違いない。

「色々成り行きはあったんだろうが…」

彼の声色は、完全に呆れ返っていた。 彼は村人達の方を一瞥したが、人数や装備を把握するためそうしたのだろう。

「いくらなんでも、自殺行為としか言いようがないぞ」

そこで彼は言葉を切り、無言で近づいてきた。 村人達がざわつき始める。

今や、彼は城壁のすぐ近くまで来ていた。 城壁から4クルート(約5m)程度の位置だ。 そこまで近づいているのに、侏儒たちの反応は無かった。彼は城門の真正面まで来ると、酒場の主人を挟んで村人達と向き合う。 酒場の主人がいる位置までは、同じく4クルート程度だろう。

「まったく…」

彼の口から、深いため息が漏れる。

「用があるからこっちに来てみりゃ、この始末か」

酒場の主人を見る目に、非難の色が浮かんでいた。

(そうは言っても、どうしようもねぇだろ!)

酒場の主人は叫びたかったが、声に出すわけにもいかない。 青年は彼の気持ちを感じ取ったようだったが、再び深いため息をついた。

「さっさと村に帰れ。 こんな事をしていても時間のムダだ」

呆れた表情のまま、仕方がないとでも言いたげな口調で彼はそう言った。 村人達のざわつきが、さらに大きくなる。

「帰らないなら、俺が今から追い散らかしてやろうか?」

一瞬、ざわつきが止まった。 しかしその後、前にも増して大きくなる。

「あ、あんた、村長に雇われてたんじゃないのか! なんでこんな事をするんだ! どっちの味方なんだよ!」

誰かがそう言う。

(余計な事を言うんじゃねぇ!)

酒場の主人はそう思うが、言われてしまった以上どうしようもない。
青年はそちらの方を向くと、うんざりした口調で口を開いた。

「俺はあんたらの味方だよ。 ここでいたずらにやり合っても、お互いにとって何の利益にもなりゃしない。 死人でも出たらどうする? そんな事になる位なら…」

彼は、右腰に佩いた剣を抜き放った。

「あんたらの獲物を全部使い物にならなくして、帰らざるを得なくしてやる」

同時に、強烈な気迫が叩きつけられる。 酒場の主人は、思わず後退りした。 本気の気迫なのか、威嚇のためのものなのかは判らない。 村人に昏倒した者がいない様子を見ると、おそらく後者なのだろう。

「れ、レイギンさんの言う通りです。 今日の所は退きましょう!」

震える声で、集団の中にいた村長がそう叫んだ。 声だけでなく、体まで震えているようだ。 気に当てられたのは、これが初めての経験らしい。
しかし、村長ほど影響を受けなかった者も、何人かいたようだった。

「そ、そんな事を言って、ここまで来て退けるか!」
「そうだ! 侏儒が仕返しに攻めて来たら、どうするんだ!」

(手前ら! やる気があるのかないのか、どっちなんだ!)

再び、酒場の主人は叫びたくなった。 中途半端に士気が高いせいで、ある程度の事が起きなければ、村人達は動きそうに無い。

「だいたい、あんたよりも酒場のオヤジの方が強いんだろう!」
「オヤジさん、やっちゃって下さい!」

(何がしたいんだ、手前ら!)

これでは最早、仲間割れのばかばかしい喧嘩にしか過ぎない。 もし侏儒に人間の言葉が通じるなら、さぞかし呆れている事だろう。

村人達の言葉が逆鱗に触れたのか、青年はすっと目を細くする。

「どうやら、口で言っても判らないようだな」

彼は、酒場の主人に切っ先を向けた。

「目を覚まさせてやる。 来いよ、大将」

酒場の主人はごくりと生唾を飲み込むと、手にした剣を構えた。

勝負は一瞬で着いた。

レイギンが剣を構えた瞬間、彼の姿がすっと消える。
酒場の主人には、彼が突然目の前に現れたように映った。

「くうっ!」

咄嗟に剣を寝かせて前に突き出し、斬撃を防ごうとする。

それで終わりだった。

酒場の主人の剣は真ん中から真っ二つになり、先の部分が地面に向って落ちる。 高い音を立てて、切り落とされた刀身が地面に転がった。

周囲は静まり返っていた。

「さあ、次はどいつだ?」

最早、誰も言葉を発しない。
レイギンが口を開くまで、誰も口を開く事が出来なかった。

「さて…目が覚めたところで、俺から提案がある」

村人達が、互いに顔を見合わせる。 レイギンが何を言い出すか、予想もつかないらしい。

「アルフィスが侏儒と話が出来る。 ちょうどいい具合に雁首そろえてるんだ。 一度話し合いをしといてもいいんじゃないか?」

レイギンは村人達の方を一瞥した後、城壁の上を一瞥した。 数体の侏儒が、じっと彼の様子を覗っている。

「ケンカをするにしても、一度話し合った後でも遅くはないだろう」
「しかし、侏儒が話し合いに乗ってきてくれるのか?」

誰かが疑問を口にする。
その問いに対する答えの代わりに、城門が開いた。 一体の侏儒が、そこから進み出てくる。

「あちらさんは乗り気のようだ」

レイギンは村人達の方を向くと、にっと笑った。







「なんだかんだで、丸く収まったって事だ」

カウンター席に座ったレイギンは、そう言ってゆっくりとジョッキに口を着けた。

「悪かったな、剣を使い物にならなくしちまって」

レイギンの左に座っているエルフェが、酒場の主人の方を向く。 酒場の主人は、ばつが悪そうな表情を浮かべていた。

「いや、俺の方が謝らなきゃならねぇ…兄ちゃんの期待通りに出来なくて、済まねぇな」

言いながら、彼はレイギンの前にジョッキを置いた。

「お詫びと言っちゃなんだが、これは俺からの奢りだ」

置かれたジョッキを見て、レイギンが顔をしかめる。

「そんなに何本も、いっぺんに飲めるかよ…」

彼のその様子がおかしかったのか、面白そうにエルフェが笑う。
レイギンを挟んで彼女の様子を見ながら、アルフィスは実感が沸かないと感じていた。

酒場の中には、レイギン達以外の客は殆どいなかった。

侏儒との交渉は、破格と言っていい条件で成立した。 侏儒側からの要求は、むやみやたらに自分達の領域に入り込まないこと、それだけだった。 彼等の領域に村人が入り込んでも、危害を加える事はしない。 近くで遭難した者がいれば、助けてもいい。ただし、自分たちの領域には出来るだけ踏み込まないで欲しい…事実上、何一つ要求していないのと同じだった。
成果だけ見れば、これ以上ない出来だと言える。 ただし、当の村人達にしてみれば、攻め込んで行ったものの相手にされず、挙句の果てに仲間割れをした上での交渉成立だったため、振り上げた拳のやり場に困ってしまったと言うのが本音だろう。 長年侏儒の恐怖に怯えていたというのに、蓋を開けてみれば非常に平和的な種族だったため、困惑してしまったとも言える。 不完全燃焼状態で、大半の者は酒を飲みに来る気も起きないらしい。

「しかし兄ちゃん、なんだってあそこに、あんないい具合に現れたんだ?」

酒場の主人は合点が行かない表情で、レイギンに尋ねた。 レイギンは、少し嫌そうな表情で答える。

「エルフェの居場所を教えてくれた侏儒がいてな…アルフィスの魔法で、姿を見せずに礼くらいは言ってもらおうと思って行ってみれば、あの始末だ。 あんたらが無茶をしでかしてないか、少し気になってたのもあるんだが…まさか本当に押しかけてるとは思わなかったよ。 そうでなけりゃ、出て行くつもりはなかったんだがね」

レイギンに説明されても、酒場の主人はどうも納得が行かないらしい。

「嬢ちゃんが魔法を使って話をするなら、侏儒の住処の近くまで行かなくて良かったんじゃねぇのか?」

その点が腑に落ちないらしかった。

「あの…」

アルフィスが割り込んで来る。

「遠話の魔法と言っても、距離に限りがあるんです。 わたしは使い慣れていませんから、ある程度近くに行かなければいけなかったんです」

彼女は困ったような表情になると、こう付け加えた。

「魔法を使わない方には、魔法は万能に思えるようですけど…」

彼女の説明に、酒場の主人はある程度納得したようだった。

「そういうもんなのか?」
「そういうものなんです」

そこに今度は、レイギンが割り込んで来た。

「ああ、そうだ。 タイミングの方は、大将が勝手に勘違いしてるだけだよ。 あんたらずっとあそこに陣取ってたんだろう? いつ俺が顔を出しても、タイミングよく現れたって思った筈だ」
「そう言われてみりゃ、そうだな」

納得が行ったような表情になり、酒場の主人はあごひげをしごく。

「にしても兄ちゃん、本当にすげえな。 俺より強い事は判っちゃいたが、あそこまでとは思っちゃいなかった」
「はは。 本当にそう思っていたのか?」

レイギンが冗談めかしてそう言うと、酒場の主人は心外だとでも言いたげな顔をした。

「思ってたさ! 痩せても枯れても戦士だぞ、俺は!」
「枯れてるのかどうかは知らないが、少なくとも痩せてはいないな」
「そりゃそうだ」
「なんにせよ…」

ジョッキに少し口を着けた後、レイギンは続けた。

「エルフェは無事に村に戻れたし、侏儒とは丸く収まって、万事めでたしだ」

彼は、再びジョッキに口を着ける。

「侏儒との話し合いの場まで作っちゃうなんて…びっくりしたわ…」

しみじみとそう言うエルフェに、レイギンは一言だけ返した。

「性分でね」

そう言ってジョッキに口を着けるレイギンを、エルフェは賞賛の眼差しで見つめている。
アルフィスは、なんだか嫌な予感がして来た。

「ねぇ、レイギンさん」

彼女の予感は、現実のものになろうとしていた。

「この村に残らない?」

レイギンの動きが一瞬止まり、ジョッキから口を離して怪訝そうにエルフェの方を見る。
彼女の表情から見る限り、どうやら本気で言っているようだった。

「俺がこの村に残っても、何の意味もないだろう。 侏儒が襲ってくる懸念があるならともかく、むしろ侏儒の方が心配なくらいだ」
「でも、この先何があるか判らないじゃない。 あの遺跡みたいなのがあるかもしれないし…」
「ないんじゃないか?」
「どうして…」
「侏儒の住処と、エルフェがいた遺跡が何なのか俺なりに考えてみたんだが、保養地の集合施設だったんじゃないか?」
「保養地の?」

エルフェが、怪訝そうに眉をひそめる。

「ああ。 侏儒の住処が湖の近くにあったから、貴族の別荘みたいだとは思ってたんだが…」

レイギンは考えをまとめるためか、一旦沈黙した後、言葉を続けた。

「侏儒の住処は、もともとは宿泊施設だったんだろう。 雰囲気を出すために、城のかたちにしたんだろうな。 エルフェがいた遺跡は闘技場。 娯楽観戦のための施設だ。 大将が昔戦った魔物達は、何かのきっかけでそこから逃げ出した奴等だったんだろう。 確かにエルフェが言う通り、他にも遺跡があるかもしれないが…」

再び、彼は沈黙する。 他にどんな施設がありそうか、考えているようだ。

「そういう訳だ。 危険なものは無いんじゃないか?」

具体的な施設名が出て来なかったところを見ると、考え付かなかったらしい。

「驚いた! そういう事にも頭が回るのね!」

エルフェが、心底驚いたと言わんばかりの仕草をする。 レイギンは、少し嫌そうな顔になった。

「俺の事をどういう風に思っていたんだ?」
「腕っ節だけの人」

エルフェの答えが予想通りだったのか、レイギンはさらに嫌な顔をする。
そんな彼の様子などおかまいなしに、エルフェは興奮した様子で言った。

「やっぱり、この村に残って欲しいわ! ねぇ、どう!?」
「人の事を筋肉バカ呼ばわれするようなコに頼まれても、残りたい訳がないだろう」

呆れたようにレイギンが返す。 完全に本気で言っている訳ではないのだろうが、声色や表情を見る限り、かなりの部分が本気のようにも思えた。

「う〜ん…それじゃ、わたしのお婿さんになって、村長を継ぐとか! これならどう!?」
「ダメです!!! そんなの絶対ダメ!!!」

アルフィスは思わず、立ち上がって両手をカウンターに叩きつけていた。 静かな店内にその音が響き渡る。
エルフェが驚いて彼女の方を向いた。 数人しかいない客も、同様に彼女の方を向いている。
アルフィスは一瞬はっとした表情になると、慌てて腰を下ろす。

酒場の中が静まり返った。

少しして、彼女はおずおずと口を開いた。

「その…そういうのって、良くないと思います…」

もごもごとした様子で続ける。

「レイギンさんはわたしの指導教官ですから、その…わたしを放り出してそんな事をして欲しくないというか…あの…」
「大義名分も何もないじゃない」

即座に、からかうような口調でエルフェが返した。 彼女の言う通りなので、アルフィスは絶句してしまう。

「先に引き受けた依頼を放り出すのは、道義的に見てどうかと思います…」

ようやく出てきた言葉がそれだった。 エルフェは黙ったまま、にやにやしている。

「わ、わたしの事も考えて下さい! 指導教官に放り出されたなんて、出来が悪いか問題があって見限られたみたいじゃないですか! 教団内でそんな評価を着けられたら、この先困ります!」

アルフィスは懸命な口調でそう言う。

「言われてみれば、確かにそうね…」

彼女の言葉にエルフェは納得したような表情になった後、腕を組んで思案顔になった。

「あっ! だったらこうすればいいわ!」

なにやら名案が浮かんだらしい。 エルフェの表情がぱっと輝いた。

「アルフィスもこの村に残ればいいのよ!」
「ええっ!?」

予想外の言葉だったらしく、アルフィスが目を丸くする。

「侏儒との関係がこじれる事があるかもしれないから、そんな時にどうにか出来る人が欲しいのよ! アルフィスなら、侏儒と話が出来るからぴったりだわ!」

エルフェは、アルフィスの両手をがっしと掴んだ。

「この村には司祭がいないから、アルフィスにはぴったりの仕事だわ! レイギンさんもアルフィスも一緒にこの村に残れば、アルフィスの事を放り出した事にならないじゃない!」

目が輝いている。

「あの…ええと…」

アルフィスは明らかにうろたえていた。 予想外の言葉だったらしく、どう返していいか全く考えていなかったらしい。

「エルフェの嬢ちゃん、欲張りだな」

笑いながら酒場の主人が言う。 エルフェは不満げな表情をそちらに向けた。

「そうかしら? アルフィスは仮司祭なんでしょ? 正式な司祭になって、この村を赴任先にしてもらえばいいじゃない!」
「それは、教団の決定によりますから、わたしには何とも言えません」

アルフィスの返答は、至極当たり前の事だった。 彼女の希望が教団に聞き入れられる可能性はあるが、聞き入れられない可能性もある。 この場で即答できるような話ではなかった。

自分の提案が難しそうだと感じたのか、思案顔でエルフェは言う。

「それもそうね…じゃあ、レイギンさんだけでも?」
「それはダメです!」

アルフィスは反射的に返してしまった。 さっき程ではないが、やはり語気が荒くなっている。
エルフェは、思案顔のままアルフィスに返した。

「じゃあ、アルフィスだけでも?」
「えっ!? ええと…」

見かねたのか、酒場の主人が割り込んで来る。

「嬢ちゃん、その位にしときな」
「マジメな話をしてるつもりなんだけど…」

エルフェ本人にとっては、言葉通り真面目な話らしい。

「兄ちゃんには、この村は狭すぎるし、平和すぎるだろう」
「そう言われると弱いわ…アルフィスはどう?」

言った後に何かに気付いたような表情になり、エルフェは言葉を続ける。

「あ、ゴメンなさい。 アルフィスはレイギンさんと一緒にいたいのね」

彼女は、確信し切った表情になっている。 アルフィスは何も言えず、黙って下を向くしかなかった。

「残念だなぁ。 二人ともこの村に欲しいのに…」

エルフェは本気でそう思っているらしい。 心底残念そうな表情が、ありありと物語っていた。
彼女はまた思案顔になった後、突然口を開いた。

「そうだ! アルフィスに、一つお願いしていい?」

何か良い案でも思いつたらしい。

「アルフィスみたいな、侏儒と話せる魔法を使える人を、この村によこすよう教団に掛け合ってくれない?」
「え!? は、はい。 教団に希望を送ってみます」
「うんっ! 決まり! アルフィス、お願いね!」
「要望が通るかどうか判りませんが、よろしいですか?」
「そこはアルフィスが、強くお願いしてよ!」

エルフェは弾んだ声でそう言うと、両手で包み込むようにアルフィスの手を握った。

「わ、わかりました…」
「なんだかんだ言って、村長の娘だな」

感心したような表情で、レイギンが漏らす。

「しっかりしたコだ」
「当たり前じゃない!」

彼の言葉に、エルフェが不満そうな表情になる。

「レイギンさんがこの村に残ってくれたら、そういう事は全部やってもらおうと思ってたけど…残ってくれないなら、わたしが全部やらなきゃ!」

彼女の言葉に、レイギンは苦笑した。






秋の日差しが、微かに暖かく感じられる。 風は殆どなく、おだやかな一日になりそうだった。

レイギンとアルフィスは、シュネルの街に向って街道を歩いていた。 レルトの村から、もう随分と離れている。

「本当に、何から何までお世話になってしまいました。 ありがとうございます」
「二人とも、元気で! 近くに来た時は寄って行きなさいよ!」

村長とエルフェは、村はずれまでレイギン達を見送りに来てくれた。

「レイギンさんもアルフィスも、身の振り方に困った時は、いつでもこの村に来なさい! 歓迎するわ!」

エルフェはそんな事も言っていた。 彼女の事だから、おそらく本気で言っていたのだろう。

アルフィスがそんな事を思い出していると、レイギンが声をかけてきた。

「なあ、アルフィス。 第二王妃の件が決着ついたら、どうするつもりなんだ?」

半分は単なる疑問、半分は心配するような口調だった。
アルフィスは、即座には答える事が出来なかった。 結果として、黙り込んでしまう。

「少し前までは、司祭としての道に進む事しか考えていませんでした。 今は、どうしたらいいか判りません。 わたしは、わたしが何物なのかすら判らない…」

ようやくその言葉が出たが、何一つ決める事が出来ていない。

「自分が何物なのか、知りたいのか?」
「判りません…知りたいという気持ちは強いです。 でも、知らない方がいい事なのかもしれません」
「そうか…」

それ以上レイギンは言葉を続けず、黙って歩いていた。
しばらくして、彼はおもむろに口を開く。

「アルフィスは、未来を見る事が出来るのか?」

アルフィスは返答に窮した。 率直に言って、判らない。 もう一人の自分は、未来の事を知っているようにも思える。 だが、それはあくまでもう一人の自分の話だ。 都合が良い時に呼び出す事が出来れば、未来を知る事が出来るかもしれない。 しかし、少なくとも今は、そんは事は出来ない。

アルフィスは、それを率直に言うしかないと思った。

「判りません。 もう一人のわたしは、ところどころ、これから起こる事を知っているみたいです。 でも、わたし自身が覚えている時と覚えていない時があります。 もう一人のわたしを呼び出す方法も判りません」
「もう一人のアルフィスに根掘り葉掘り訊ければ、アルフィス自身の事は一発で解決できそうなんだが…そう都合よくは行かないか。 教えてくれるとも限らないしな」

困ったような表情をして、レイギンは軽くため息をついた。

「難儀なもんだな。未来が判るって事は、未来は一本道って事になる。だが、本当にそうなのかすら、俺には判らない。一本道なのか、分かれ道があって別の未来になっちまうのか、さっぱり判らないときてる」

レイギンは、そう言って苦笑する。

「どっちに進みゃ何処へ着く、って具合に、道標でも立ってりゃありがたいんだがね」

アルフィスは、心底道標が欲しいと思った。

「道標、とても欲しいです」
「とは言っても、無いもんは仕方ないか。 案外、探してりゃ見つかるかもしれないが」

アルフィスは思った。 行く先を示してくれる道標は欲しい。 しかし、見つけられるかどうかは判らない。そもそも、あるのかどうかすら判らない。 そう考えると、答えを返す事が出来ない。

二人の間に、沈黙が訪れる。

レイギンは何も言わず彼女の答えを待っていたが、少し遠慮がちに口を開いた。

「俺に出来る事があれば、手伝ってやろうか?」
「えっ!?」

アルフィスは戸惑っていた。 まさかそんな申し出をされるとは、考えてもいなかったのだ。

「そう言って下さるのは、とても嬉しいです。 でも…ご迷惑をおかけする事になるかもしれませんし、危険な目にも遭うかもしれません」
「どっちも慣れてるさ」
「そんな、レイギンさんの好意に甘えるような事は…」
「少なくも今の俺は、アルフィスの指導教官だ。 甘えとけ」
「でも…」

レイギンの好意には甘えたい。 しかし、実地訓練の指導教官としてならともかく、そんな事にまで甘えてしまっていいのだろうか?

躊躇するアルフィスの心に、囁いてくる声があった。

(甘えとけばいいわよ。 はっきり拒絶したのに、お節介を焼いてくれたんだから)

おそらく、もう一人の自分がそう言っているのだろう。 こういう時だけ、突然出て来るのは勘弁して欲しい。 それに、それは仕事の依頼になるのではないだろうか。

「それだと、わたしがレイギンさんを雇う事になりますよね? お礼が出来るかどうかも判りません」
「俺が勝手に手伝おうって言ってるんだ。 そこは気にしなくてもいいんだがな。 もし気になるようなら、そうだな…」

レイギンは少しの間言葉を切り、何か考えているようだった。

「実地訓練をしてる間に、それなりに金も貯まるだろう。 仕事料を払いたいって言うのなら、そこからでも出してくれりゃいいさ」
「でも、それが無くなったら…」
「その時は、体で払ってもらうさ」

何でもない事のように言った彼の言葉に、アルフィスは思い切り顔を引きつらせた。
確かにそういう手段もあるにはあるだろう。 だが、よりによって真っ先にそれを出してくるだろうか。とてもではないが、即答できるものではない。

「あ、あの、あのっ…体で、って、言葉通りの意味でしょうか?」
「他にどう取るんだ?」
「…少し、考えさせて下さい」
「はは。 ずっと保留にしておいてもかまわんよ。そもそも、礼については気にしないでいいって言ってるんだ」
「いえ…あの…」

考えてみれば、そもそもレイギンは礼は要らないと言っているのだ。彼の出した条件に従う必要はない事になる。 もしかしてこれは、レイギンが時々言う、冗談になっていない冗談なのかもしれない。
それに、もしレイギンが本気でそう言っていたとしても、考えようによっては自分の成長に利用できる。 漠然と実地訓練を重ねるよりも、退路を断っておいた方が成長は早いかもしれない。

アルフィスはそう判断し、レイギンの申し出を受ける事に決めた。 肯定の返事をしようと口を開きかけるが、躊躇し言葉を飲み込んでしまう。 レイギンはそんな彼女の様子を、不思議そうに眺めていた。

再び言葉を飲み込んでしまったが、アルフィスは意を決し、ゆっくりと口を開く。

「判りました。 その条件でお願いします」

アルフィスの返答を聞き、レイギンはにまっと笑った。

「そう言ってくれると、こっちも助かる」

彼はアルフィスの方に右手を差し出そうとしたが、何かに気付いたように途中で止めた。

「そうは言っても、アルフィスが司祭として一人前に仕上がってくれないと、まだ何とも言えないな」

アルフィスはきょとんとした。 自分が司祭として一人前になる事と、彼の出した条件に何の関係があるのだろうか?

「どうしてそうなるのでしょうか?」
「それがなぁ…」

困った表情になり、レイギンは差し出しかけていた右手を頭に持っていく。 そのまま、ぼりぼりと髪をかいていた。

「カルハナが中途半端に関わってくれるせいで、司祭だとか神官戦士だとか、回復系が得意な奴でいつも組める相手がいなくてね。 アルフィスは、そういう事は得意だろう? いつも組んでくれるなら、大助かりだ」

そこまで言うと、レイギンはアルフィスの方を見て、再びにまっと笑った。

「この条件でいいだろう?」

アルフィスはしばらくの間、返答に詰まってしまった。

「もしかして、体で払うって…レイギンさんの仕事を手伝って欲しいって意味だったんでしょうか?」
「それしかないだろう?」

レイギンは、アルフィスに笑みを向けている。

「アルフィスが早めに仕上がってくれれば、実地訓練の間にも、俺への報酬を払ってくれる事になるわけだ。 …ん!?」

そこで何かに気付いたのか、彼は不思議そうな表情になった。

「もしかして、別の事を考えていたのか? 何だと思ったんだ?」
「い、いえっ! そ、そうだと思ったのですけど、わ、わたしにその役が務まるか、不安でしたから! ちゃ、ちゃんと一人前になれるかどうかも判りませんし」
「なれなきゃ、半分は指導教官である俺の責任だ」

そこまで言って、何か別の考えが浮かんだようだ。 レイギンは、少し間を置いて言葉を続ける。

「アルフィスが、『一人前になれてない』って言い張れば、『一人前になれるまで責任持って付き合う』って名目でもいいか」

破格とも言える申し出に、アルフィスは困惑する以外ない。

「どうして、そこまでして下さるんですか?」
「ただのお節介だ。 性分でね」

レイギンの表情からは、言葉以上の意図は感じられなかった。

「何か下心があるとか…」

(ないと思うわよ。 レイギンだし)

また、もう一人のアルフィスが出てくる。 いい加減にして欲しい。
ただ、確かにそんな気はした。 もしかしたら、自分ともう一人の自分は、完全に分かれている訳ではないのかもしれない。 自分自身の考えが、もう一人の自分として顔を出しているだけなのかもしれない。 アルフィスはそう思った。

「下心があると思いたいなら、そう思えばいいさ」

レイギンはそう言うが、どう見ても下心があるようには見えなかった。 しかし、そう見えるだけで、実際は違うのかもしれない。 その可能性を考慮に入れた上で、アルフィスは尋ねてみる。

「わたし…期待に応えられないかもしれませんよ?」
「だったらだったで、かまわないさ。 アルフィスに出来る事だけやってくれりゃあいい」
「至れり尽くせりじゃないですか」
「指導教官の件と第二王妃の件は、正式に仕事として受けてるんだ。 その中に入ってると思ってくれりゃあいい。 それじゃイヤか?」
「あまりにも条件が良すぎて、気味が悪いくらいです。 気持ち悪いです。 でも…」

レイギンの事を、律儀な性格だとは思っていた。 しかしここまで来ると、律儀を遥かに通り越して、底抜けのお人好しとしかいいようがない。 どうして自分のために、ここまでしてくれるのか。

しかしアルフィスの中には、確信めいた感情が芽生えていた。

(どんな事があっても、この人はわたしを助けてくれる…)

ただの願望かもしれない。 しかし、その感情に素直に従っていい気がする。

「レイギンさんの事、信じていいと思ってます。 信じます。 信じました。 だから…」

アルフィスは躊躇した。 言ってしまえば、否定されてしまうかもしれない。 それが恐かった。 第二王妃の勢力はレイギンの手には負えないかもしれないし、金や権力で懐柔されてしまう可能性もある。 それだけでなく、アルフィス自身の事もある。 もう一人のアルフィスの力は、アルフィスには制御できないかもしれない。 認めたくはないが、レイギンがこの先アルフィスを投げ出してしまう可能性は、十分すぎるほどある。

しかし、せめて言葉だけでも欲しかった。

「裏切らないで下さいね」
「裏切らないさ」

即答だった。

「第二王妃の勢力が、暗殺者を放ってきたりするかもしれませんよ?」
「織り込み済みだ」

レイギンは実際、その事について何とも思っていないらしい。 少なくとも、何とか出来ると思っているフシがある。 今まで目の当たりにした彼の強さを考えると、そう思ってしまうのも当然かもしれない。

「わたしを差し出せば、レイギンさんを重要な役職に着けるなんて言って来るかも知れませんよ?」
「そういうのは、もう面倒くさくてね。 俺は冒険者でもやってる方が、性に合ってるらしい」

アルフィスはふと気付いた。『もう』という事は、レイギンは過去に権力の座についていた事があるのかもしれない。 シャールにいた頃は軍にいたようだし、彼の技量を考えると、かなり上の階級にいたとしてもおかしくなかった。 もしそうなら、権力を持つ事の表と裏を体感している事になる。 『面倒くさい』という言葉も、その考えを裏付けているような気がした。

「わたしは…危険な存在かもしれませんよ?」
「そんなに俺は頼りないか?」

笑いながらレイギンは答え、冗談めかして続ける。

「裏切って欲しいのか?」
「そんな事はありません。 その…わたしのために、そこまで言って下さるのが実感が沸かなくて…」

レイギンが色々と世話を焼いてくれるつもりなのは、素直に嬉しいと思う。 しかしアルフィスには、その理由がどうしても判らなかった。 それこそ、自分の体目当てとでも言ってくれた方が、まだ納得が行く。

「どうして、そこまでして下さるのですか?」
「アルフィス一人で何もかも抱え込むには、重すぎるんじゃないかと思ってね。 知っちまった以上は、少しは背負ってやりたくなるさ」

アルフィスはレイギンを、本当にお人好しだと思った。 態度は素っ気無いが、根が優しいのだろうとも思う。

−背負いきれない分は、俺に背負わせてくれ−

アルフィスの脳裏に、その言葉が蘇る。 もう一人の自分の記憶と思われる、レイギンから言われた言葉。 それとほぼ同じ内容の事を、今度は自分自身が言われた事になる。

(ね? ずっと待ってた甲斐があったでしょ?)

またもう一人の自分が出てくる。 どうやら、もう一人の自分が置かれた状況に近い事になったり、過去のレイギンの言葉と似たような事を言われると顔を出すらしい。 もしその考えが正しいなら、アルフィスは以前にも色々と助けてもらった事になる。

もう一人のアルフィスの記憶が、いつの事なのかはさっぱり判らないが。

自分は人間ではないかもしれない。 それを判った上で、レイギンはアルフィスの助けになろうとしてくれている。 まるで当たり前の事のように…。

だんだんと、胸が詰まるような感覚が襲ってきた。

「とても、嬉しいです…あ…」

いつの間にか、アルフィスの頬を涙が伝い落ちていた。
そんな反応をされるとは思っていなかったのか、レイギンは明らかにうろたえている。

「泣くなよ、こんな事で」
「『こんな事』なんかじゃないです…とても嬉しい事です」

時々しゃくり上げながら、アルフィスはそう言う。 レイギンは、どう返していいか判らないようだった。

アルフィスが落ち着くまで待った方がいいと判断したのか、レイギンはずっと黙っていた。

「道標…」

まだ涙を流しながら、アルフィスがそう言う。

「ん?」
「道標、探しましょう! ううん…」

しゃくり上げたせいで、彼女の言葉が一瞬止まる。
しかし彼女の表情には、はっきりとした決意が現れていた。

「一緒に探して下さい!」
「ああ」

レイギンは短く答えると、付け加える。

「もし見つからなかった時は、自分で作るか」
「はい! その時は道標、作ってしまいましょう! わたしたち自身で!」
「いい返事だ」

レイギンは、満足そうな表情をする。

アルフィスはまだ涙を流しながらも、にっこりと頷いた。






男は、ある人相書きを見ていた。

「ついに尻尾を出したか? シャールの間者ではないかと見ていたが…」

天井に吊るされたランプの炎が、ゆらゆらと揺れている。 唯一の調度である机が、その光を受けて薄暗く照らし出されていた。

「シャールのどちらの勢力かは判らないが、リーライナ教団と手を組んだと言う事か?」

男の顔は、陰になって判らない。 しかしその口許が、にやりとした笑いをかたち作った。

「まあいい。 都合が悪ければ消すだけだ」

彼の持っている人相書きは、明らかにレイギンのものだった。




『侏儒』(了)

インデックスに戻る