2.

暗い…。

そう思ったのは、もう何度目だろうか? 周囲は、闇に包まれている。
完全な闇ではない。頭上に一箇所、光が射し込んで来る場所がある。

彼女はぼんやりと、その場所を見上げた。自分が落ちてきた穴だ。そこを見上げたのは、もう何度目になるだろうか。
手を伸ばせば届きそうな気がする。少し飛び跳ねれば、そこから外に出る事が出来そうな気になる。

そしてすぐ、それが錯覚に過ぎない事を思い出す。

穴があるのは、実際は遥か上だ。その表現は、少し大げさかもしれない。おそらく、4クルート(約5m)程度の高さだろう。
しかし、その高さでも、手は届かない。手が届かない以上、4クルートだろうが1ケーダだろうが変わりはなかった。 そこから外に出る事は出来ない。

あと何日生きていられるだろう?

ぼんやりとそう思いながら、頭陀袋の中から木の実を一つ取り出し、口に含む。歯で殻を割って吐き出すと、中身をゆっくりと噛みしめた。自分が今食べているのは、何の実だろう。味がわからない。

幸いにして、水は豊富にある。しかし、ここから出る事が出来ないなら、自分の命を引き伸ばす助けにしかならない。最初はかなりの量があった木の実も、今はもうかなり少なくなっている。

このまま、人知れず死んでいくのだろうか。

状況が変わらなければ、その結末しかないだろう。もし長く生き延びられたとしても、季節は秋だ。日を追う毎に、気候は厳しくなっていく。

誰か、助けに来てくれるだろうか?

今いる場所の事を考えると、望みは薄かった。

いっその事、生き延びる事を諦めた方が楽かもしれない。

そう考えたのも、もう何度目だろう。その誘惑は強く、つい身を委ねてしまいそうになる。そして、はっとして思い直す。
これもまた、何度目の事だろう。

もしかしたら助けが来るかもしれない。いつになるかは判らないが、その時まで生きていられれば、ここから出る事が出来る。生き延びる事を諦めたせいで、助けが来た時には死んでいた…
そんな事になってしまうと、悔しい。

でも、もし助けが来るとしても、一体誰が、こんな所まで来てくれると言うのだろう?

彼女はまた、ぼんやりと頭上の穴を見上げた。




レルトの村はシュネルの南西約4ケーダ(50km弱)にあり、水源の問題からか丘に囲まれた場所、ちょっとした盆地にあった。湿気を防ぐためだろうか、家々は床下がかなり高いつくりになっている。また、天井もかなり高くしてあるようで、平屋でもかなりの高さがあった。
木造の家々が立ち並ぶ村の中心部から西に目を移せば、山地へと連なっている森が見える。赤みの強い夕日に照らされ、紅や黄色に紅葉した木々が森を彩っていた。

何気なくその森を見ながら、レイギンは依頼に対する予想を改めて整理した。

(猟か採取に行ったのはいいが、夜になっても帰ってこない、くらいの感じだったんだろう)

発端については、大きく外れてはいないだろう。
もっとも、ここはさして重要な点ではない。

(俺達が呼ばれた理由は…山狩りしたくないってのは見え見えだ。問題はその理由だが)

一番重要なのはこの点だ。レイギン達の予想が当たっていれば、森の中には脅威が存在する事になる。

(何かヤバイものが出る、ありそうだな。特に今は秋だ。大型の獣も村近くまで降りて来てもおかしくない)

危険生物か魔物、どちらかが森の中に生息しているケースが、最も可能性が高いだろう。

しかし、それ以外の可能性もあった。

(森の中に不可侵の聖地、もしくは呪われた地、遺跡…村人が近寄りたがらない場所が有る、これも考えられる事だ)

もしこちらの場合なら、捜索は若干やっかいになるかもしれない。特に最後の場合、中に入って探す必要がある。

(何にせよ、依頼主に会ってみりゃ判る事か。身内が行方不明になったからと言って、すぐに2000ルシュタを出せるような人間は、この村にはそうそういないだろう。となると、村長か村の富豪だろうな)

とりあえずは、この程度まで考えておけばいいだろう。
そう判断すると、レイギンは広場への道を歩き出した。少し遅れて、アルフィスが着いてくる。彼女は、きょろきょろと物珍しそうに視線を巡らせていた。そろそろ暗くなり始めた頃で、森から帰って来た猟師や、家へ向かう子供達が目に付く。彼らはレイギン達に好奇の一瞥を投げかけては、納得したような表情をして去って行った。

(俺達が探す相手が行方不明になってる事は、村中に知れ渡ってるみたいだな)

村中に知れ渡っていても、探しに行く事が出来ない。森の中に脅威が存在するのは、もう間違いないだろう。

何も無くただ広いだけの広場を通り過ぎ、一軒、二軒、三軒…チュルクから教えられた名の表札がある家の前にたどり着いた。明らかに大きい。敷地は、周囲の家の2倍近くあるだろうか。

そこでレイギンが急に立ち止まったので、アルフィスが彼の背中にまともにぶつかった。

「あっ! すいません」
「今度は同じ事をしないように気をつけりゃいい。それより、ここらしいな」

言い終えると同時に、レイギンは入口への階段を上り始めた。床が高くなっているので、階段を上らないと戸口まで辿りつけないのだ。

(シロアリの心配はしなくていいのか?)

入口の扉の前に立った時、ふとそんな考えが頭をよぎった。
このような建築形態は初めて見るのか、アルフィスは恐る恐る階段を上って来ている。
そんなアルフィスを横目に、レイギンは扉を叩いた。

「誰かいないか? 『光の道標』で依頼を受けた者だ」

ぱたぱたという足音、鍵を開ける音、そしてドアを開く音。顔を出したのは、10歳くらいの少年だった。レイギンを見る目に、好奇心と怯えの色が宿っている。
レイギンは苦笑したが、少年はそれを笑いかけられたと取ったらしい。少し警戒を解いたようだ。

「お兄ちゃん、誰? それに後ろのお姉ちゃんは? 何か用?」
「俺はレイギン。『光の道標』で依頼を受けてここへ来た。こっちはアルフィス。見習いの司祭だ」
「お兄ちゃんたち、冒険者なんだね!」

少年の顔がぱっと明るくなったかと思うと、奥の方へ走って行ってしまった。しばらくして、30代にも40代に見える男を引っ張ってくる。沈んだ表情からは、一目でその心痛が見て取れた。

「ねえ、お父さん、この人達がお姉ちゃんを探して来てくれるんでしょ?」

少年の明るい様子に、この男はどう対応していいか困っているようだった。

ただ、困っていたのは彼だけに限ったわけではない。レイギンもまた、困っていた。

(そんなに期待をかけられても、困るんだがな)

この少年の顔には、レイギン達に対する期待がいっぱいにあらわれている。どうやら、行方不明なのは彼の姉らしい。姉をきっと探し出してくれるだろうという期待が、レイギン達なら必ずやってくれるだろうという期待が、少年の表情からありありと見て取れた。

(まいったな)

思いつつも、自己紹介だけは忘れない。

「レイギン・シュヴァルツ。剣士とでも考えておいてくれ」
「アルフィス・レイトです。見習いの司祭を勤めています。今回はレイギンさんの同行者を勤めさせて頂いています。治癒系統の魔法が使えますので、病気や怪我を治す必要が有る人がいれば言って下さい。何とか出来ると思います」

アルフィスはそう言うと、スカートの両の腿あたりを軽くつまみ上げ、少し膝を折って会釈した。レイギンほど色々な事については考えていないらしい。そのまま中腰になって、少年に話しかけていた。少年は、相変わらず希望に満ちた表情を浮かべている。

レイギンは、気が滅入って来た。

「着いて早々だが、依頼について訊いておきたい」

この雰囲気から逃れたかったせいもあるかもしれないが、まずは仕事の話だ。そのために、自分達はここに来たのだから。

レイギンの言葉に、男は陰鬱な声で答える。

「そうですね。それでは中へどうぞ。お茶でも入れましょう」

男が歩き出し、その後にレイギンが続く。アルフィスが自分達の方を向いた。
レイギンは片手を軽く上げ、歩き出そうとする彼女を制する。

「いい。用件の詳細については後で話そう。俺が聞いておく」
「それじゃあ、お願いします」

そうは言ったものの、アルフィスは不満げな表情になっていた。どうやら、自分はいてもいなくてもいいと思われていると受け取ったらしい。そんな彼女を、少年が不思議そうに見上げている。

レイギンは彼女に近づくと、小声で耳打ちした。

「その子の相手をしててやってくれ」

軽くため息をつき、続ける。

「俺には無理だ」

その言葉に、アルフィスははっとした表情になった。すぐに表情が戻ったが、不満げな色はなりを潜めている。

「わかりました」

彼女は小声で答えたが、心なしか声色が嬉しそうだ。

(役割さえ与えてやれば、不満を感じない性格なのかもな)

そう思いながら、レイギンはきびすを返す。そのまま、男の後に着いて行った。彼の背中を見ながら、薄暗い廊下を歩いて行く。アルフィスと少年は再び話し始めたらしく、元気な声が二人分、自分達の所にも届いてきた。何故か、それが空々しく感じられる。

(あれだけやかましくしてりゃ、少しは雰囲気が明るくなりそうなもんなんだが)

応接間に通され、ソファに腰掛けた時、その理由がわかった。人の気配が殆ど感じられない。レイギン達とアルフィス達、この4人分の気配しか感じられないのだ。こうなると、それなりに趣味のいい調度も、ランプの暖かな光も、うすら寒い雰囲気を引き立たせる以上の役割を果たしてくれない。

「お手伝いの娘が外出しているので、少し待って頂けませんか?」

申し訳なさそうに男が言う。茶の一杯でも、という配慮なのだろう。しかし、とてもではないが居心地よく茶を飲めるような雰囲気ではなかった。

(手早く済ませるのが正解か)

雰囲気に飲まれてしまっては、目が曇る。

そう判断し、レイギンは部屋を出て行こうとした男を呼び止めた。

「そういう気遣いはいい。それよりも、早いところ詳細を聞かせてくれ。一刻を争うんだろう? 場合によっては、俺自身は今すぐ出てもかまわない」

レイギンの言葉に、男は少し驚いたような表情になった。 が、すぐまた暗い表情に戻ってしまった。

「お心遣いは有難いのですが、私自身、半分諦めていますので…申し遅れましたが、私はこの村の村長です」

そう言って浮かべる表情も、とことん暗い。

この調子では、どんどん沈んで行った挙句に「話にならなくなる」可能性がある。そうなってしまっては困るので、レイギンは話を続けようとした彼の言葉を遮って尋ねた。

「冒険者に仕事を依頼して来たという事は、村人が近づけない領域が森の中にあるんだな?」
「その通りです。あの森の南部には、昔から侏儒が住み着いているらしく、近寄れないのです」

(そういう事か。「昔から住み着いている」って事は、相手は単独じゃあないな)

心の中で舌打ちする。

『侏儒』とは、人間に友好的でない小人族を指す。ただし、『侏儒』という種族が存在する訳ではなく、あくまで総称に過ぎない。分類としてはかなりいい加減で、本当に人間に敵対的なものから、単に外見が恐ろしげなものまで全てひっくるめている。
そうは言っても狗頭族は含まないのだから、本当にいい加減だ。
侏儒は体が小さいため非力な印象があるが、そうではない事が多いらしい。まだ実際に相手をした事はないが、たいていは強靭な体力と、信じられない程の怪力である事が多いと聞く。それが本当ならば、確かに普通の人間では相手にすると分が悪い。ましてや相手が集団であれば、村人たちの手には負えないだろう。

「どのくらいの数がいる?」
「はっきりとは判りませんが、集落があるようですので…」

村長は言い澱む。数を把握出来るほど、侏儒のテリトリーに近づいた者がいないのだろう。
いや、「住み着いているらしい」という言葉から推測すると、そんな程度ではないかもしれない。集落の有無すら正確には把握していないという事は、少しでも侏儒を見かけた場所には、足を踏み入れないようにしている可能性が高い。村人たちは、相当に侏儒を恐れていると考えてよさそうだ。

「確かに、あんた達の手には負えなさそうだな」

半ば独り言のように、レイギンは口にする。
そんな状態だったため、レイギンは村長が自嘲気味に笑った事に気付かなかった。

「そう、侏儒です。だから、私が探しに行かなくても、誰も咎めたりはしません」

最初、レイギンはこの男が一体何を言わんとしているのか掴めなかった。その事に気づいているのかいないのか、村長は自嘲気味な笑みを張り付けたまま話を続ける。

「しかし、いくら侏儒のテリトリーとはいえ、自分の娘ですよ。嫁に行くまでは、私が守らなければいけない筈の娘ですよ。本当ならば探しに行きたい。しかし、私が探しに行く訳には行きません。 村長の役目を考えずに、そんな事は出来ない…」

そう言って、村長は深いため息をつく。
レイギンは、意外なものを見せられた感じだった。

(生真面目なんだろうな)

そう思う。
この男は人一倍責任感が強く、真面目なのだろう。本心では、自ら娘を探しに行きたいに違いない。しかし、村長という立場では、そうする事が出来ない。それが、この男の心を苛んでいる。村長の立場を利用して、村人に探しに行かせる事も出来ないのだろう。相手は侏儒、それも集団だ。

(まいったな…)

心情的には、何としてもこの男の娘を探し出してやりたい。
しかし、冷静さを失うわけにもいかない。状況を分析し、最適な手段を考え、実行する…情に流されてしまっては、最初の二つが疎かになる。

(アルフィスを同席させなかったのは、正解だったか)

場慣れしていない彼女は、簡単にこの男に同情してしまうだろう。 おまけに、彼女は今回が初仕事だ。 気負いもある。それらが重なれば、無茶な事をしてしまっても不思議ではない。

(さて、どうしたものか)

とりあえず、少しでもこの雰囲気をどうにかした方が良さそうだ。

「まだ死んだと決まったわけでもないんだ。そうと決め付ける事もないだろう」

当たり障りのない言葉を投げかけ、反応をうかがう。
レイギンの言葉に、村長は深いため息を吐き出した。

「本当に…そう思っているのですか? もう一週間近く経っていると言うのに」

彼の言葉をそのまま受け取れば、娘の生存を諦めている事になる。しかし、希望を捨て切る事も出来ないのだろう。気持ちの整理がついているとは思えない。
レイギンの予想が正しければ、依頼の目的は「娘を無事村へと連れて帰る」事ではない。「娘の死を確認する」ためのものだ。そうする事によって、村長は娘の死を受け入れようとしているのだろう。

(依頼目的の認識あわせだけは、しておくか)

そう考えると、レイギンは村長の問いに答える。

「生きている望みは薄いと思う」

村長は沈黙した。その後、目を泳がせ、何か言おうとして口をぱくぱくさせる。 しかし、その口からは言葉が出てこない。
彼はそんな状態をしばらく続けたが、レイギンは黙って彼の言葉を待った。

「そうでしょうね」

その言葉が出てくるのにも、随分とかかった気がする。

「それは承知の上での依頼なんだろう?」
「はい…その通りです」

言い終えた後、彼の表情は少し和らいでいた。

「少し、気が楽になりました。誰も、はっきりとは言ってくれませんでしたので」

それはそうだろう、と思う。実際に、生きている可能性は皆無ではないのだ。そんな状態なのに、「娘は死んでいるに違いない。諦めろ」とは言えないだろう。最初にレイギンが言ったように、「死んでいるとは限らない」と言う方が普通だ。
とはいえ、そんな事を言われれば、可能性に縋ってしまう。考えようによっては、これ程残酷な事はない。苦しみながら時を重ねろ、と言っているに等しいのだから。

娘が生存する望みが薄いという現実を、レイギンという『他人』から突きつけられ、実際に少し気が楽になったのだろう。村長の様子は若干落ち着いていた。
一時的な事かもしれないが、少しは冷静に話が出来るようになるかもしれない。そう思い、レイギンは依頼目的の話に入る。

「俺たちの仕事は、あんたの娘の遺留品探しと考えていいんだな?」
「はい…お願いします。 娘の形見は、なんとしても見つけ出して下さい」
「わかった。状況やこのあたりの地理について、色々と訊きたい事がある。もし用意出来るなら、地図も用意してもらいたい」
「わかりました。地図の方は、明日の朝にはお渡し出来るように手配しましょう」

多少ではあるが、村長の目に光が宿っていた。本来、実務は出来る男なのかもしれない。
それならなおのこと、何かの仕事をしてもらうのが一番いいだろう。少しは気が紛れる筈だ。

「おそらく俺たちは、侏儒の行動範囲に足を踏み入れる事になる。ついでに調査もしておいた方がいいか?」
「そうですね。今後の事もありますので、生息域や数がある程度判れば、報告して下さい」
「わかった。もしその後の対応が必要なようなら、村の連中と協議をしておいた方がいいだろう」
「確かにそうですね。侏儒との関係は、遅かれ早かれ清算する必要があるでしょうし」

先程とは違い、髄分と歯切れがいい。こと村全体に関わる事となると、気力を取り戻せるようだ。

「侏儒の件については、あくまでついでと思ってくれ。俺たちの仕事は、あくまであんたの娘の遺留品探しだ」
「ええ。それは判っています」

そこまで話を進めて、レイギンはふとある事を思い出した。

「ああ、そうだ。あんたの娘が死んでいる前提で話を進めているが…」

そこで一旦言葉を切り、続ける。

「一応、無事に戻って来れた時の用意もしておいてやれよ」

村長が一瞬、虚を突かれた表情になる。
その後、何を言われたかを理解したらしく、苦笑いを浮かべた。

「わかりました。 葬式の準備は、生死がはっきりしてからにします」

その言葉が冗談なのか本気なのか、レイギンにはわからなかった。




目の前のアルフィスは、熱心にレイギンの話を聞いている。ベッドに腰掛けているが、上半身をこちらに向けて突き出し、熱のこもった眼差しでレイギンの方を見ている。心なしか、話を始めた時よりも、随分と前にせり出して来ている気がする。このまま話し続ければ、その内ずり落ちてしまうのではないだろうか。

(まいったな)

嫌な予感が的中した事を感じつつ、レイギンは説明を終えた。
そのまま、アルフィスに尋ねる。

「だそうだ。どうする? もしヤバイと思うなら、アルフィスは来なくてもいいぞ」
「そんな事を言わないで下さい! わたしも少しはお手伝いが出来ると思っています! それに、あの子の話を聞いていたら、わたしも何かしなきゃ、って気になってしまって!」

熱のこもった声でそう言う彼女を見て、レイギンはため息をついた。
村長から聞いた話は全て話し、侏儒を相手にするかもしれないと言ったが、完全に乗り気になっているようだ。キルトへの同情も手伝って、なんとしてもエルフェ−村長の娘の名だ−を探し出す気でいるらしい。
いや、それ自体は悪い事ではない。問題は、アルフィスの精神的な状態だ。依頼人に感情移入しすぎている。そして、気持ちが前に行き過ぎている。

(どうしたものか)

思いつつ、何の気なしに窓の方に目をやる。外の風景が目に入ったが、家々の窓から光は漏れていない。真っ黒な軒並みの続く先に、黒々とした森が見て取れる。空に出ているのは三日月のため、森だとわかる程度に過ぎないのだが、星空との境界線が妙にはっきりしているように感じられた。

(きちんと言う事を聞いてくれれば、いいんだが)

アルフィスの方をちらりと伺い、レイギンはそう思った。この様子では、とてもそうは行きそうにない。このような局面での、彼女の性格がまだ掴めていない。そもそも、出会ってからまだ数日だ。どう御したらいいだろう?

「レイギンさん、レイギンさんってば!」

アルフィスに呼ばれ、レイギンは我に返った。彼女の方を向く。考え込んでしまっていたらしい。何故だか、アルフィスは少しムッとしている。

「だから、実戦は未経験とは言え、わたしは戦闘訓練を受けています! 攻撃魔法だって使えます! もしレイギンさんがお怪我をなさった場合には、傷を治すことも出来ます! お邪魔にはならないと思います! それでも、不満がおありですか!?」

一気にそうまくしたて、アルフィスは体の前で両の手を「ぐっ!」と握り締めた。
そして、不満げに締めくくる。

「聞き流さなくってもいいじゃないですか…」

どうやら、考えに没頭してしまっていたようだ。アルフィスの様子から察するに、彼女はその間ずっと能力をアピールしていたのだろう。結果的に、レイギンは彼女の言葉を無視し続けてしまった事になる。
もっとも、戦闘能力があるから邪魔にはならないとか、そういう問題ではないのだが…おそらく、アルフィスはその事についてだけ考えていて、他の事に目が行っていないのだろう。

「じゃあ訊こう。どのくらいの相手までなら、一人でなんとかできる?」
「えっ!?」

鳩が豆鉄砲を食らったような顔になり、アルフィスは少しの間沈黙した。

「ええと…それなりの相手でしたら…」
「それなりか。具体的にどのくらいだ?」
「ええっと…」

言い澱み、アルフィスは再び沈黙した。俯いて考え込んでは、ちらりとレイギンの方を見て、また考え込む。
レイギンは少しおかしくなった。

「アルフィスは魔法が使えるんだろう? 魔法生物相手なら、どの程度までなら戦える? 石人形か? 鉄ゴーレムか?」

そこで一息つき、続ける。

「それとも、上位竜か?」

アルフィスは完全に沈黙した。表情からは、必死に考えている様子が伺える。自分の知識と照らし合わせて、どの程度の相手ならば倒せそうかを考えているのだろう。

「石人形程度ならば、大丈夫…だと思います」

さっきまでの勢いはどこへやら、上目遣いにレイギンの方を見ながら、呟くような小さな声で彼女はそう言った。その回答にすら、自信がなさそうだ。
レイギンは軽く笑う。

「少し安心したよ」

どうやら、「実際に戦った事がないので判断し切れない」と考えられる程度には、冷静になったらしい。

(それでいい)

判断材料に乏しい状況では、その答えは悪くない。
自分の能力を過小評価するのは良くないが、過信するのは危険だ。最悪の場合、死に直結する。そこまで考えているのかどうかは判らないが、近い考えには至っていると見ていいか?

だがアルフィスは、レイギンの言葉を別の意味で受け取ってしまったようだ。

「で、でも、少し支援があれば、合成魔獣くらいなら倒せると思います!」

必死な表情で訴えてくる。

安心した途端に、これだ。
思わず、左手を顔に当ててしまった。ため息まで出てしまう。

「な!? どうしてそんな顔をされるのですか!?」

アルフィスには、レイギンの反応は予想外だったらしい。一瞬虚を突かれた表情になった後、非難のこもった声色で訊いて来た。

(それこそ、アルフィスを過大評価しすぎたか?)

振り出しに戻ってしまった。これでは、彼女が自分の能力を冷静に分析しているのか、過大評価しているのか判らない。
そう思った時、ふとある考えが頭に浮かんだ。

(まてよ…本当にその通りだって事もあり得るのか?)

消音や軽量化の魔法の持続時間を考えても、アルフィスの魔力は相当に高いようだ。となると、単純に魔力だけで言うなら、合成魔獣程度ならば圧倒してもおかしくない。「単独で」ではなく、「少し支援があれば」というのも、それなりに説得力がある。
そんな風に考え、アルフィスの方をしげしげと眺める。完全にむくれた表情をしていた。

(なんだかな…)

この村に来るまでは、アルフィスは比較的大人しいタイプだと思っていたのだが…今の彼女は、感情が先に立っているように見える。感情を制御出来るほど、場数は踏んでいない筈だ。年齢のせいもあるだろう。
そもそも彼女は、自分の置かれた状況をどう捉えているのだろう? この依頼を受けるかどうかの判断では、与えられた情報から、きちんと状況を分析してみせた。実戦経験がないとはいえ、きちんと分析をした結果がさっきの答えなら、「状況を分析する」姿勢については申し分ないと言える。分析能力が十分かどうかは、また別の話だ。 むしろ、「自分が現在すべき事を判断できるかどうか」が問題になって来る。

(試してみるか)

そう思うと、レイギンはアルフィスに背を向けた。そのまま扉に向かおうとする。

「ちょ、ちょっと!? どこへ行かれるのですか!?」

慌てた声が背中にぶつかる。

「俺は今から酒場に行って来る。その間、待てるか?」

問いへの答えに続けて、質問を投げかけてみた。
即座に、さらに不機嫌そうになった、そして大きくなった声が返ってきた。

「お酒を飲みに行くんですか!?」

非難の色がありありと見て取れる。まぁ、普通の反応だろう。

「俺の代わりにアルフィスが行くか? だったら俺がここで待機していよう」
「えっ!?」

どうやら、状況が飲み込めていないらしい。
とはいえ、わざとそうなるように仕向けたのだから、当然の反応と言えた。

「わたし、お酒、飲みません」

非難の色はなりを潜め、困惑した声色になっている。 何を言われているのかわからないのだろう。
レイギンは半分だけアルフィスの方に向き直った。予想通り、困惑した表情になっている。

「意図がわかるか?」

軽く笑いながら尋ねる。返答は返って来ない。
レイギンは少し間をおくと、沈黙したままの彼女に言った。

「答えられないなら、俺は行くぞ?」
「え、ええっと…」

慌てた様子で、アルフィスは返そうとする。そして、急にはっとした表情になった。

「もしかして…呆れられているのですか?」

俯き、申し訳なさそうにそう言う。

(ああ、そういう風に取ったか)

はっきりとは言い切れないが、彼女は自分が「使いものにならない」と評価されたと受け取ったのだろう。

(やけに能力にこだわるな)

考えてみれば当然かもしれない。実績のない彼女には、能力以外に寄って立つ瀬がないのだから。

(そこは気にしなくてもいいんだが)

そもそも彼女は見習いだ。 最初から一人前の働きが出来るとは思っていないし、求めてもいない。
ただ、彼女がずっと能力の事を気にしていたとなると、意地悪な質問を投げかけてしまったとも言える。
だとすると、考える方向を示した方がよさそうだ。

「俺の言った事を、もう一度思い出してみろ」
「レイギンさんが言った事?」
「俺はどう言った?」
「わたしが、レイギンさんの代わりに酒場に行ってもいいと…」

即座に返って来た。記憶力はいいのかもしれないが、そこではない。

(回りくどいやり方になっちまってるな)

少し、焦れったいと思う。
とは言え、性急になるわけにもいかない。 実地訓練もまた、アルフィスの本分だ。彼女自身が答えに辿り着けるようにならなくては、意味がない。

「その前だ」
「酒場に行かれるから、その間待てるかと…」
「俺は、どういう意図でそう言ったと思う?」
「少し、待ってくださいませんか?」

アルフィスは下を向いて考え始める。
その様子が、素直で微笑ましい。

「そのくらいなら、待つさ」

思わず、声にやさしげな色が混じる。
アルフィスは、なぜそんな言い方をされるのか判らないようだった。

数分経ったろうか。 アルフィスは、自信なさげに口を開いた。

「酒場へは、情報収集に行かれるのでしょうか?」
「まずまず、だな」

考える方向さえ示してやれば、きちんとした答えを出せるようだ。自分でそう出来るようになれば言う事なしだが、そこはまだ仕方がないだろう。

レイギンの様子を伺いつつ、アルフィスは再び口を開いた。

「レイギンさんが帰って来た後に情報の精査をするので、帰って来るまで待っていろ、という事ですか?」
「おい…」

思わずそう口に出すと、アルフィスはまた下を向いてしまった。

「ごめんなさい…間違えてしまったようですね…」

心底申し訳なさそうだ。
アルフィスの答えは、完全に間違っているわけではない。 しかしそれならば、アルフィスも一緒に酒場に行ってもいい事になる。どちらかが残る理由にはなっていない。

「気にするな。それよりも、どうしてアルフィスか俺が残る必要があるか考えてみろ」
「どちらかが残る必要性、ですか?」
「もし村長から急な話があったりしたら、誰がそれを聞いておくんだ?」
「あっ!」

アルフィスがはっとした表情になる。

「それで、わたしが代わりに行って、レイギンさんが待ってもいいと仰ったのですか?」
「そういう事だ」

どうやら彼女は、レイギンの言葉の意図が全て飲み込めたようだ。
とは言っても、どんな表情をしたらいいか判らないらしく、困惑した表情のまま沈黙している。
レイギンは軽く笑いかけると、口を開いた。

「判ったなら、俺は行くぞ」
「あっ! 待ってください!」

また慌てた様子で、アルフィスが呼び止めて来る。レイギンが酒場に行く事については納得しているようだから、何か別の質問があるのだろう。

「どうした?」

レイギンは、冗談めかして続けた。

「酒を飲みに行きたいのか?」
「もう…からかわないで下さいよ…」

拗ねた様子でそう言った後、彼女は続けた。

「先ほどの事と、この話がどう関係しているのでしょう?」
「本質的には同じことさ。自分が置かれた状況を読み取って、何ができて、何が出来ないかを判断する。何をしなければならないかを判断する。感情に流されると、それを忘れがちになっちまうからな」

そこまで言うと、レイギンは彼女の目を見て続ける。

「さっきのアルフィスは、感情が前に出すぎていたろう?」

アルフィスは、ばつが悪そうな表情になって目を逸らした。

「そうですね…確かに、そうでした」

彼女は俯くと、反省したように小声で答える。

(本当に、素直だな)

きちんと筋道を通して話せば、感情よりも理性の方が勝るのかもしれない。
だとすると、ある程度は意図を説明しておいた方がいいだろう。

「それにだ、さっきのアルフィスは、一人ででもエルフェを探しに行きそうな勢いだったが、なにもかも一人で出来るわけじゃない。 例えば、酒場で情報収集をしながらここで待つなんて事は、俺一人ではムリだ」

冗談めかして言い、言葉を続ける。

「極端な話になるが、アルフィスは強大な力を持っているとする。世界を破壊しつくせるほどの力だ」

突然全く違う話になったせいか、アルフィスは戸惑った表情を浮かべていた。
気にせず、そのまま続ける。

「それを使えるとして、アルフィス一人でどれだけの人間を救えると思う?」

この質問は、あくまで極端な例え話だ。申し分ない答えは期待していないし、一人で出来る事には限界がある事だけ判ってくれればいい。いや、薄々感じ取ってくれるだけでかまわない。

そう思った時、レイギンはアルフィスの様子がおかしい事に気付いた。彼女は驚いた表情のまま、完全に動きを止めていた。どう返すべきか考えている様子ではない。思考すら止まってしまっているように見える。

「どうした?」

声をかけてみるが、返事はない。

(マズい事でも訊いちまったか?)

そうは思うが、反応がないのでは確かめようもない。

レイギンが見守る中、アルフィスは完全に凍りついていた。




どくん!

突然、胸が高鳴った。

おそらくレイギンは、完璧な答えを求めて今の質問をしたわけではないと思う。一人の力に限界がある事を伝えたい、それだけの筈だ。
でも…どうしてだろう? 同じような事を、ずっと前に言われた事があるような気がする。

心のどこかから、浮かび上がってくる感情があった。

−間違いないの?−

何が間違いないのだろう? 何の事だろう?

誰かの声が聞こえる。

−アルフィス…いや、アイオノーラだったな−

自分の本当の名だ。話しているのは誰だろう?

−独りで世界を背負うつもりか?−

世界を背負う? 一体なんの話だろう?

−確かに、あんたの力は強大だ−

どうやら声の主は、自分の力を認めてくれているようだ。

−しかし、一人で出来る事には限界がある。たった一人で背負い切れるのか?−

それにしても、何の話なのだろう? 自分の一体どこから、こんな途方もない話が出てきているのか。

出所を考えてみて、アルフィスは1つの考えに行き着いた。

(これは、わたしの記憶!?)

失った記憶。目覚める前の事は、何一つ覚えていない自分の過去。覚えているのは自分の名前だけだった。 その記憶が蘇っているのだろうか?

−独りで背負うつもりなんだな−

ため息と、諦めたような声色。
これが自分の記憶だとしたら、話しているのは一体誰だろう? 聞き覚えのある声だ。

−そのつもりなら、止めないさ−

次の言葉には、やさしい響きが含まれていた。
この声は…。

−だが、背負い切れない分は−

よく知っている声だ。そう、ずっと前から…この声の主はよく知っている。

突然、声の主が誰かに思い当たった。

(レイギンさん!?)

−俺に背負わせてくれ−

その声と、目の前のレイギンの姿が重なる。再び、胸が大きく高鳴った。

−まちがいないわ!−

心のどこかが、強くそう訴える。舞い上がっているような、喜色にあふれた声でそう言われた気がした。 心の中にもう一人、別の自分がいるような感覚だ。

−でも、でも…本当に間違いないのかしら…−

もう一人の自分は、舞い上がっている事に気付いたのか、冷静さを取り戻そうとしている。

でも、胸の高まりが止まらない。それどころか、どんどん強くなっていく。

その感情につき動かされ、ある言葉が口を突いて出そうになった。その事に気付き、アルフィスはすんでの所で言葉を飲み込んだ。

−だめよ、レイギンさんは、そんな答えを期待していないわ−
−細かい事は、気にしないでいいわ−
−でも…これ以上、レイギンさんから呆れられたら…−
−レイギンはそんな風には見ないわ。だいたい、いきなりこんな質問をしてくるなんて意地悪よ。お返ししてやりなさい!−

もう一人の自分は、悪戯っぽく笑ったようだ。レイギンの事をよく知っているのだろうか? でも何故?

そんな事を考えてしまったせいか、もう一人の自分に主導権を取られてしまったらしい。いつの間にか、口を開いてしまっていた。

「世界を救えると思います」

レイギンが仕方なさそうな顔をする。長い沈黙の後にこんな答えを発したのだから、当然だろう。「上手い言葉を見つけられなかったか」くらいに思っている筈だ。
予想通りの反応。自分が知っているレイギンがしそうな反応。アルフィスは嬉しくなった。

(やっぱり、レイギンなのね!)

胸が躍る。嬉しさと懐かしさ、その二つがあふれ出して来る。これは自分の感情なのだろうか? それとも、もう一人の自分がそう感じているのだろうか?

それにしても、何が「やっぱり」で、何がそんなに嬉しいのだろう? その事については全く判らない。

なのに、嬉しさが湧き上がって来る。

何がそんなに懐かしいのだろう? レイギンとは、ほんの数日前に出会ったばかりだ。

なのに、懐かしさがこみ上げてくる。

もはや、自分ともう一人の自分、その区別が着かない。思った事を、そのまま口に出す。

「でも、わたし一人では背負い切れそうにありません」

レイギンの表情が、怪訝そうなものに変わる。言葉の意図を図りかねているのだろう。

(まだ、知らないから)

口許に手を当てて、アルフィスはくすりと笑った。
そう、自分は、レイギンと共に…

「共に背負って下さるのなら」

レイギンの表情が、困惑したものに変わった。自分が何を言わんとしているか判らないのだろう。
次の言葉を口に出せば、レイギンはさらに混乱するだろう。でも、言わずにはいられない。
アルフィスは、悪戯っぽく微笑みながら続けた。

「あなたが、共に背負って下さるのなら」

今度は、レイギンの方が呆気にとられる番だった。




一人で出来る事には限界がある、それは理解してくれたと思った。「一人では背負いきれそうにない」という言葉は、その事を裏付けている。
そこまでは、質問の意図を上手く説明出来そうな流れだった。 状況を冷静に分析すれば、最初に「しなければならない事」が浮かび上がってくる。自分の能力を分析すれば、その中から「出来る事」が浮かび上がってくる。それを取り去った後に残るのが、「自分一人では出来ない事」だ。それを解決するためには、何が必要か、どんな手段を取るべきかを考えなければならない。他の者の助力が必要なケースも出てくるだろう。
自分に出来る事と出来ない事を切り分け、必要であれば助けを求める…状況を分析し、最適な解を求める姿勢が大事だと伝えるつもりだった。

しかし、そうする事は出来なかった。

(共に、背負う?)

アルフィスの言わんとしている事が判らない。途中までは、レイギンの意図通りの回答だった。しかし、助力を請う相手が、自分一人に限定されてしまっている。その理由が判らない。その上、彼女の言葉をそのまま受け取れば、自分と一緒であれば世界を救えるという事になってしまう。アルフィス自身の能力についてもそうだが、レイギンの能力についても、どんな風に捉えているのかさっぱり判らない。

それに、彼女の表情はどういう事だろう? 愛おしむような、懐かしむような…何故、そんな表情をするのか? まるで、以前から自分の事を知っているようだ。

「どういう事だ?」

言葉を選ぶ事すら出来ず、レイギンは思わず尋ねてしまう。
アルフィスは、再びおかしそうに微笑んだ。

「さっき仰いましたよね? 一人で出来る事には限界があるって。レイギンさんは、以前にもそう仰いました。そして…」

そこで、彼女はくすりと笑う。

「レイギンさんが残りの分を背負って下さるって」

レイギン自身は、そんな事を言った覚えは全くない。 それどころか、誰かと共に「世界を背負う」などと言った事すらない。
それに近い事ならば言った事は…いや、近くはないだろう。一国と世界全体では、規模が違いすぎる。立場があったとはいえ、今思えば大それた事を言ってしまったと思う。その時の発言を、アルフィスは知っているのだろうか?

レイギン考えを察したのか、アルフィスはまた、くすりと笑った。

「レイギンさんが、シャールにいた頃の話ではありませんよ」

そこで一旦言葉を切ると、アルフィスは昔を懐かしむような表情になった。

「もっと前…はるか昔の話です。そして、レイギンさんにとっては、もう少し先の話です」

もはや、彼女が何を言っているのか判らない。自分はシャールで生まれ育った。それ以前に別の国にいたという事はない。
彼女の言葉からすれば、その時アルフィスは自分と共にいた事になる。そんな覚えは全くない。
だいたい、はるか昔とはどういう事だろう。アルフィスは、見かけよりもずっと歳を取っているという事だろうか?

「何を言っているんだ?」

それ以外の言葉が出てこなかった。からかわれているのだろうか? いや、アルフィスの表情からは、そんな様子は微塵も感じられない。そもそも、そんな器用な事が出来る娘とは思えない。もしそうだとすれば、今までの彼女は偽りの姿だったという事になる。レイギンには、そんな気配は全く感じ取れなかった。自分にそうだと思わせる程、他人を欺くのに長けているという事になる。

しかし、自分に対してそんな事をして、彼女に何の得があると言うのだろう?

全く考え付かなかった。

となるとアルフィスは今、本当の事を話している?

いや、本当の事とは限らない、「彼女が真実だと思っている事」という事もあり得る。むしろ、そう考える方が自然だ。
だとしたら、一体何が彼女にそう思わせているのだろうか? 原因が思い当たらない。

(何が、どうなっている?)

自分が持っている判断材料からは、全く判断出来ない事が起こっているようだ。 これは一体何なのだろう?

レイギンの困惑した様子がおかしいのか、アルフィスはまた、くすりと笑った。微笑ましいと感じているような表情を浮かべている。この表情は…答えに辿りつけない相手を見守っている時の表情だ。ついさっき、レイギン自身がそうしたように。

何を言うべきか、何を聞くべきかを判断しきれず、レイギンは言葉を発する事が出来ない。沈黙したまま、時が流れていく。
彼がなかなか口を開かないのにしびれを切らしたのか、彼女はふてくされたような表情になった。

「妄想か何かだと思ってるんでしょ?」

レイギンの考えを見透かすようにそう言う。
彼女は少しの間何かを考えていたようだが、名案でも思いついたのだろうか、悪戯っぽくくすりと笑った。しかしすぐに少し困ったような、確信が持ちきれないような表情に変わって口を開く。

「この村に来る途中、シュネルを出る間際に、わたしたちに手を振っていた女性がいましたよね」

彼女はレイギンの反応を待たず、言葉を続けた。

「あの方が、シャラナさんなんですね?」
「な!?」
「今はイリスという名だったと思います。キルシュ…いえ、ナークリヒというお兄さんがいるんですよね?」

驚きのせいで、言葉すら出なかった。
シャールでの自分の名を言われたなら、驚きもしなかったろう。それなりに通った名であるし、カルハナもその事は知っている。アルフィスをレイギンに任せるにあたって、カルハナが彼女に話していたとしても不思議はないからだ。
しかし、イリスの事になると話は違う。『イリス』という名前が出てくるまでなら納得は出来る。カルハナに彼女の事を話した事はないが、街を出る度にあの調子だ。気になって調べていてもおかしくない。
しかし、彼女は自分と同じように過去を捨てている。過去の象徴とも言えるシャールでの名を、おいそれと口にするとは思えなかった。
それに、イリスがもしカルハナと話をしているのなら、その事を自分に話している筈だ。 彼女からは、直接カルハナに会ったとの話すら聞いた事がない。身辺調査らしき事をされたという話もなかった。 そういう事には彼女は敏感だし、シャールでの事もある。自分に話さないとは考えられなかった。

一番不可解なのは、アルフィスがイリスのシャール名を先に言った事だ。 ナークリヒの事や、シャール名まで知っている。
誰かから聞いた話をそのまましている素振りだし、シャール名が先に出てきたところを見ると、そちらを先に聞いたと考えるのが妥当だろう。フラード内で聞いた話なら、二人のフラード名を先に聞いている筈だから、そちらを先に言っている筈だ。

となると、アルフィスはやはりシャールにいた事がある?

「シャールにいた事はありませんよ」

考えを見透かされたような言葉がかけられた。

「わたしが知っている事は、全てお話ししましょうか?」

彼女はまた口許に手を当てて、悪戯っぽく笑う。

「レイギンさんがわたしに話して下さった事しか、話せませんけどね」

混乱が極みに達しそうだった。 間違いなく、彼女に過去の話をした事はない。 しかし、彼女の言葉からすると、自分は直接、彼女に過去の話をした事になる。

それは、いつだ!?

過去ではなく、現在でもない。 となれば、そんなタイミングは存在しない。

アルフィスは、レイギンの混乱した様子をじっと眺めていた。そして、少し寂しそうな表情になる。
彼女は立ち上がると、ゆっくりとレイギンの方に近づいて来た。

「いずれわかる時が来る筈です」

レイギンのすぐ近くまで来ると、彼女は自分の方に両手を伸ばしてくる。

「ううん、来て欲しい」

愛おしそうにレイギンの目を見ると、首の後ろに手を回してくる。

「わたしが今ここにいる事が、偶然とは思いたくない」

動けなかった。アルフィスは今、自分に身を任せようとしている。

少し寂しそうな表情のまま、彼女は続けた。

「わたしが間違っていなかったって、そう思いたい」

そのまま、彼女は顔を近づけて来て…

突然、きょとんとした表情になった。自分が何をしているか、しようとしていたかを把握出来ていない様子だ。
しばらく彼女はその表情のまま固まっていたが、状況を把握出来たのか、みるみる顔が赤くなって行く。 同時に、自分の体勢に気付いたのだろう。あわててレイギンから体を離すと、くるりと背を向けた。

「あ、あ、あ、あの。わ、わたし、な、何を…!?」

声がうわずっている。
さらに彼女の冷静さを失わせてしまいそうだとは思ったが、レイギンは言わずにはいられなかった。

「俺の方が訊きたい」

アルフィスはそのまま沈黙する。
しばらくして、彼女の肩が動いた。どうやら、両手を胸の前に置いたか、組み合わせたかしたらしい。どうしてそうしたのかは、彼女自身も判っていないのだろう。

レイギンに背を向けたまま、彼女はゆっくりと部屋の奥へ進んでいった。そのまま進めばベッドにぶつかってしまうのだが、気が着いている様子はない。案の定、ベッドに足をぶつけ、その上に倒れこんでしまっている。
彼女はベッドの上に両手をつくと、ぎこちない動きで体勢を戻そうとした。そこでバランスを崩し、またベッドの上に倒れこんだ。再び両手をつき、体勢を戻そうとする。今度は上手く立ち上がれた。肩が荒く上下しているところを見ると、深呼吸して気持ちを落ち着けようとしているようだ。

長い沈黙を経て、ようやくアルフィスは落ち着いて来たらしい。それでもまだ上ずった声で、なんとか搾り出した様子で口を開いた。

「ご、ごめんなさい。変な事を口走って」

レイギンの方を振り向こうともしない。俯き加減になっている様子から察するに、顔を上げる事すら出来ないのだろう。

「いや、正気に戻ったのなら、別にいいんだが」

しばしの沈黙の後、アルフィスは小声で言った。

「ごめんなさい…わたし…何だかおかしくなってしまっていたようです」

今は何を言っても、ろくな結果にならない気がする。しばらくは彼女を一人にしていた方がいいだろう。この場に自分がいては、いつまで経っても彼女は冷静さを取り戻せまい。

そう判断すると、レイギンは彼女に背を向け、扉の方に向かった。

「俺は酒場に行って来る。何かあった時は、頼んだぞ」

ドアノブに手をかけつつ、そう言う。「落ち着くまでじっとしていろ」という言葉が喉まで出かかったが、ぐっと堪えた。言ってしまっては、間違いなく悪い結果になるだろう。そのまま、部屋を出る。

「行ってらっしゃいませ…」

レイギンが部屋をドアを閉める直前、彼女のか細い声が耳に届いた。自分が帰ってくるまでに、落ち着きを取り戻せていればいいのだが…。

レイギンは扉を閉めた。
彼女がベッドの上に倒れこんだらしい、「ぱたん」という音が、ドア越しに聞こえた。




どうしてあんな事を言ってしまったのだろう?
どうしてあんな事をしてしまったのだろう?
ベッドの上に突っ伏したまま、アルフィスは心の中で繰り返していた。思い返すだけで、顔が赤くなる。
何故あんな事をしでかしてしまったのか、理由が全くわからない。
ただ一ついえる事は、どうやら自分は、以前からレイギンの事を知っているようだ。

(でも…どうして?)

少なくとも過去3年、目覚めてから今まで、レイギンと会った覚えはない。
それに、「もう少し先」とはどういう事だろう? 言葉を発したアルフィス自身が、何の事を言っているのかわからない。 目覚める前の自分は、その事を知っているのだろうか?

(どうして、知っているの?)

わからない。自分でさえこうなのだ。レイギンに至っては、アルフィス以上にわけがわからないだろう。

とにかく心を落ち着けよう。アルフィスはそう思った。レイギンが酒場に行ってしまったのはありがたかった。彼がこの場にいては、何をしても動揺を広げる結果になってしまったと思う。そこは、レイギンが気を使ってくれたのだろう。

アルフィスはゆっくりと立ち上がると、目を閉じた。深く息を吸い込む。まだ鼓動が早くなっているのが、はっきりと感じられた。
じっとしていると、また思考がぐるぐると回り始める気がする。考えないようにしようと思えば思うほど、逆に気になってしまう。何か没頭できる事があれば、少しは気を紛らわせそうなのだが…。

(ええと、捜索の開始は明日で、朝早くレイギンさんと一緒にここを出て…レイギンさんと…)

だめだ。レイギンが絡む事を考えてしまうと、思考が引っ張り戻されてしまう。

(どうしたらいいのかしら…)

困り果て、アルフィスは部屋の中を見回してみた。簡素なつくりで、ベッドと木のテーブル、イスくらいしかない。気を紛らわせるのに使えそうなものはなかった。装備品の点検をしようとも考えたが、思い直す。仕事に関する事になると、どうしてもレイギンが考えの中に出てくる。そうなると、思考が引き戻される。それではいけない。

何かいいものはないかと視線を巡らせた時、窓の外の星空が目に入った。

(そうだ! 星の数でも数えよう!)

そのまま寝てしまいそうな気もしたが、そうなった方がまだましだろう。
そう判断すると、アルフィスは窓際まで歩いて行った。
窓の外を見下ろすと、うっすらと道の様子が見える。暗い。それに、明かりが漏れている家が全くない。村の住人は、ほぼ寝入ってしまっているのだろう。レイギンは酒場に行くと言っていたが、開いているのだろうか?

そこまで考えて、アルフィスははっとして考えを中断した。危ない。また考えがレイギンに結びつく所だった。 酒場の事は無理やり頭の中から追い出し、空の方を見ようとする。

その時、視界の隅で、何かが動いた気がした。

(あれ?)

改めてその場所をしばらく見ていたが、動くものは何もない。どうやら見間違いだったようだ。

そう思った矢先に、また何かが動く。

(村の人?)

それにしては、動きがおかしい。もし家に向かおうとする村人なら、真っ直ぐに自分の家の方に向かって行くだろう。暗いとは言え、足元がおぼつかなくなる程の暗さではない。

アルフィスは、動いたものがいた方に神経を集中させた。次第に目が慣れてくる。やはり、何かがいるようだ。小さい。子供くらいの大きさだろうか。はっきりとは判らないが、建物の影に身を隠し、きょろきょろと辺りを覗っているように見える。

(迷子になって帰れなくなった子供かしら?)

そのくらいしか思いつかなかった。そうだとすると、周囲を覗っているのも判る。不安で仕方がないのだろう。

(おうちに連れて行ってあげないと)

そのまま放っておく訳にはいかない。
そう思うと、アルフィスは部屋を出た。急いで階段を駆け下り、玄関に急ぐ。

玄関の扉を開けると、外は思ったよりも暗く感じた。ここまで来る途中が明るかったため、明るさに目が慣れてしまったのだろう。とはいえ、だいたいどのあたりにいたかは判る。
玄関の前の階段を下ると、アルフィスは用心深く足元を探りながら、そちらの方に歩いて行った。確か、あのあたりにいたはずだ。

家と家の間、狭い隙間となっている所まで来る。通路としての用途は考えられていないらしく、体を横にしても入るのが精一杯だろう。

(でも、どうしてこんな所に入って行っちゃったのかしら?)

隙間の幅は、子供であればなんとか通り抜けられそうだ。しかし、暗い。迷子になっているのなら、むしろ明るい所を選びそうなものなのだが…。

そんな風に思いながら、アルフィスは隙間を覗き込んだ。月明かりが差し込んだ先、隙間の奥に、小さな人影が目に入る。

「迷子になっちゃったの?」

人影が、びくりと肩を震わせる。

「おねえちゃんと一緒に、おうちに帰ろう?」

声をかけながら、アルフィスは違和感を覚えていた。

(黒い?)

物陰になっていたり、逆光になっているならそれも判る。しかし、そのどちらでもない。なのに隙間の奥の人影からは、真っ黒な印象を受ける。

人影が、おそるおそるアルフィスの方を向いた。

目が合った。血のような、真っ赤な目だった。

(人間じゃ、ない!?)

思わず、体がびくりと震える。
隙間の奥の人影も、同じようにびくりと体を震わせ、一目散に奥の方へと走って行ってしまった。とっさに追いかけようとしたが、上半身を半分突っ込んだところで、左肩が壁にぶつかる。

隙間に体をねじ込もうと少し目を離した隙に、人影は消え去っていた。もし今から隙間に入り込めても、追いつくのは難しそうだ。それに、下手をすると追いかけるどころか、隙間にはまり込んで出られなくなってしまいかねない。諦めるしかなさそうだ。

アルフィスは、隙間から上半身を戻した。

(なんだったのかしら…)

釈然としないものを感じつつ、村長の家の玄関まで戻る。何故か、入り口で村長が待っていた。

「どうなされたのですか?」
「アルフィスさんが走って行かれたのが見えましたから、何かあったのかと思いまして」
「子供がいたような気がして、気になって外に出たのですが…」

そう言ったアルフィス自身、釈然としない。先程の人影は、本当にいたのだろうか? 少し目を離した隙に、あっという間に見えなくなってしまった。見間違いでなかったとは言い切れない。
その考えを裏付けるように、村長が笑いながら言う。

「こんな時刻まで出歩いている子供はいませんよ。見間違いでしょう」
「そうですね…」

村長の言うように、見間違いだったのかもしれない。
でも、それにしては、真っ赤な目がはっきりと見えた気がするのだが…。

「それはそうと、地図が手配できました。レイギンさんにご覧になって頂きたいのですが」
「レイギンさん、情報収集するって酒場に行っちゃいました」
「そうですか。では、アルフィスさんからお渡しして頂けますか? 明日の朝にレイギンさんにお渡ししても良いのですが、アルフィスさんも目を通しておいた方が良いでしょう」
「わかりました。お預かりしておきます」

とりあえず、今は地図の件の方が重要そうだ。
アルフィスはそう考えると、玄関の扉を閉めた。

少し離れた場所、先程の隙間から、真っ赤な目がそちらを覗っていた。






失敗した。
その一言に尽きる。

左手で頬杖をつき、レイギンはそう思った。テーブルの向かいの青年は、時折ジョッキをあおりながら、さっきから幾度となく同じ言葉を繰り返している。

「だからね冒険者さん僕はエルフェを捜しに行きたいんだでも行けない。どうしてか?決まってるだろ侏儒がいるからさ。あいつらさえいなければ僕はエルフェを捜しに行って今頃エルフェを見つけ出してるに決まってる。ねぇ冒険者さん侏儒をどうにかしてよ。エルフェは僕が捜すからさ」

もう何回、この台詞を聞いただろう。

(話を聞くにはちょうどいいと思ったのが、間違いだったか)

酒場に入ってすぐ声をかけられ、好都合だと思ってテーブルの向かいに座ってしまった。そう酔っている風には見えなかったのだが、そうでないと気付いた時には遅かった。どうやら、酔いがあまり顔に出ないタイプらしい。

(少し、注意力散漫になっているな)

自分の状態を分析し、そう結論付ける。青年の様子をもう少し注意深く見ていれば、泥酔している事に気づけた筈だ。
原因は、先程のアルフィスの態度だろう。

(どうしたんだろうな?)

青年の言葉を右から左に聞き流しながら、レイギンはそう思う。おかしくなったと言ってはアルフィスに失礼だが、そうと表現する以外に言葉がない。 突然あんな状態になったところを見ると、自分の言葉のどれかに反応したと考えるのが妥当だろう。
そこまでは当たっているとしても、黙り込んでしまったり、激昂したのならまだ判る。彼女が気にしている事を言ってしまったとしたら、そうなっても不思議はないからだ。

実際のアルフィスは…あれは、なんと言えばいいのか…。

表現する言葉が思い当たらなかった。 あえて言えば、旧知の仲になるだろうか。 レイギンの事を昔から知っていて、再会を喜んでいるような雰囲気だった。もちろん、レイギンにはそうされる理由が思い当たらない。

(まさか、誰彼見境いなしにああなってるんじゃないだろうな?)

もしそうだとすると、教団が後宮入りさせたがらないのも判る気がする。誰に対してもあんな事をしていれば、間違いなく問題のタネになる。

(それにしては、妙な所が多すぎる)

アルフィスの言葉を思い出しながら、レイギンは腑に落ちないと感じていた。
最も不可解なのは、自分がシャールにいた頃の事を知っているような態度を取った事だ。
アルフィスは、自分と共にフラードに来た二人の兄妹の名前を知っていた。それも、シャールにいた頃の名前まで。
あの調子では、自分のシャールでの名も知っていそうだ。むしろ、知っていると考えた方が自然だろう。

どうやって知った?

それが判らない。

状況を分析するために、彼女の言葉を精査していく。
イリスやナークリヒの事に関しては、名前が出た程度とはいえ正しい。アルフィスの言葉から察するに、それを彼女に話したのはレイギン自身だという事になる。こちらは、明らかに間違っている。自分は、彼女にそんな話をした記憶はない。 彼女がシャールにいた事がないとの言葉は、どうだ?

(ん? 待てよ?)

アルフィスが正気に戻る直前の言葉が蘇る。「いずれ判る時が来る」「来て欲しい」「偶然とは思いたくない」。ひとまとめにして考えると、これから先に起こる事を知っているようにも取れる。今まで彼女にイリスやナークリヒの話をした事はないが、これから先にないとは言い切れない。

(未来を見る力があるのか?)

そう考えるとしっくり来そうだ。先程のアルフィスの様子から見た限り、その能力は突然発現するのだろう。教団がその事を知っているとすれば、後宮入りさせたがらないのも納得出来る。望んだ時に未来を知る事が出来るならともかく、突然未来を語り始められては、相当に始末に終えないだろう。下手をすると、頭がおかしいと扱われたり、不吉な予言者にされてしまう。そうなると、そんな人物をよこしたとして、教団の失点になる。

(だったらどうして、王宮に連れて行った?)

いきなりあの様子になったら、どうするつもりだったのか?
そうならないと思っていたから王宮に連れて行ったのだろうし、まさか王の目に留まるとは思っていなかったのだろうが、それを差し引いても話がおかしい気がする。

(俺が考えていても、埒があきそうにないな)

これからの事もある。機会があれば、アルフィスに直接訊いてみよう。

結論付けると、レイギンは考えを打ち切った。
ふとテーブルの向かいを見ると、青年はテーブルに突っ伏して眠りこけていた。

「ったく…」

毒づき、席を立つ。この青年には、説教でもしてやりたい気分だった。酔っ払って管を巻くのは別にいい。レイギンの不興を買ったのは、彼が何一つ行動を起こしていない事だった。直接エルフェを探しに行けとまでは言わない。だが、出来る事は皆無ではなかった筈だ。もし何かしていれば、特にこの状態だ。ながながくどくど、自分のした事を繰り返し話しているだろう。それがなかったという事は、全く何もしていなかったに違いない。

軽くため息をつくと、レイギンはカウンターの方に歩いていった。一番端の席に腰をおろす。

(何か頼むか)

そう思って酒場の主人の方を見た時、誰かのジョッキに酒をついでいる彼と目が合った。背はそれ程高くないが、体つきはかなりがっしりしている。ひげ面と表現するに相応しい面相で、わざとそうしているのか、面倒くさいので剃っていないのか、どちらなのかはわからない。髪の色は、この村に入って初めて目にする金髪だった。もともとはこの村の人間ではないのだろう。

客に酒を注ぎ終わると、酒場の主人はレイギンに話しかけてきた。

「兄ちゃん、侏儒のナワバリん中にエルフェの嬢ちゃん捜しに行くんだって?」
「ああ。まだ、村長以外には話していないんだがな」

言いながら、レイギンは苦笑した。オヤジの方は愉快そうににやりと笑う。

「兄ちゃんの思ってる通りよ。もう噂になってやがるぜ。冒険者風の男にリーライナの女司祭…いや、あの歳じゃまだ見習いだろうな。どっちにせよ、エルフェ嬢ちゃんが行方不明になってる時に冒険者が来るなんざ、理由は一つしかありゃしねぇ」

話し終わったと同時に誰かが、「同業者の勘か?」 と笑いながらヤジを飛ばす。オヤジはにやにやしていた。

「元ご同業かな?」
「まぁ、そんな所だ。今じゃあこの村に落ち着いちゃいるが、それなりの腕はあったぞ!」

胸元をどんと叩くと、酒場の主人は豪快に笑う。
レイギンは、思わず笑みを漏らしてしまった。

「それなりにとは、謙虚だな」
「兄ちゃん相手に、でかい口は叩けねぇよ。あんた相当な腕だろう?」
「そういう事にしておこう」

酒場の主人は答えず、にやりと笑う。リップサービスとも言えるし、剣士相手のお約束でもあるのだろう。
レイギンも言葉を返さず、にやりと笑い返した。少しの間、沈黙が流れる。

先に口を開いたのは、酒場の主人の方だった。

「それで、どんな情報が欲しくて来たんだ?」

4,5人いる客が、驚いた表情を浮かべているのが眼に入った。多分、ここのオヤジはあの言い出しで、いつも自慢話をしているのだろう。なんとなくおかしくなり、レイギンは軽く笑うと、銀貨を2枚取り出してカウンターの上に置いた。

「エールでももらおうか」
「何が訊きたい?」
「とりあえず、侏儒についての情報が欲しい。どんな姿なのか、どの辺りでよく見かけるのか、どの位の数で行動していたのか…出来るだけ多くの情報が欲しい」
「つまみは取ってくれねぇのか?」

レイギンは黙って銀貨をもう2枚取り出すと、ジョッキに酒をついでいる主人の横に置く。

「まいどあり」

言って、主人は話し始めた。

「俺が直接見たわけじゃねぇが、黒い肌に真っ赤な目、銀色の髪っていでたちらしいな。たいてい単独で行動しているらしい。逃げたところで別に追っては来ないらしいし、強さの程はわからない。好き好んで侏儒にケンカ売ろうってヤツはいねぇからな」
「森の南部に住み着いていると聞いたが、どのあたりになる?」
「そうだな…ここがこの村とすると」

主人は背中を丸め、カウンターに人差し指をつく。手が濡れているのだろう、その場所が濡れ、色が変わった。
主人はそこから左下に指をずらして行き、大きく楕円を描いた。

「話によると、この一帯だそうだ」
「南と言うより南西部…場所によっては、ほぼ真西か。その辺りが侏儒の縄張りなのか?」
「さぁ? 何しろ、見かけた奴らはすぐに逃げ帰っちまってる。あちらさんもたまたま遠くまで来てただけで、縄張り自体はそう大きくないのかもしれねぇ」
「村人が森に入る時は、どの辺りまで行く?」
「このあたりかな」

今度は、先程書いた楕円のふちをなぞるように指を動かす。

「ふむ…」

レイギンは右手を軽くあごに当てる。もしエルフェが侏儒の縄張りと思われるエリアに迷い込んでしまったのなら、おそらく「南へ向かっている」という意識はなかった筈だ。実際はゆるやかに南に向かって行っていたとしても、本人の意識としては、真西または西北西へ向かっていたと思っていたのではないだろうか? となると、探すべきエリアはかなり限られてくる。

ただし、この推論には、ある前提が必要だった。

「エルフェってコは、方向感覚は、どうだ?」
「難しい事を聞くな。 俺は森には入らねぇ…」

そこまで言って酒場の主人は突然背筋を伸ばすと、店中に響き渡る声で怒鳴った。

「おめぇら! 話は聞いてんだろ!」

一旦言葉を切ると、少し顔を動かし、止めては、また少し動かす。
酒場にいる客の一人ひとりの方を向いているのだと、すぐに判った。

「薄情な奴らだな! この兄ちゃんは、侏儒の縄張ん中にエルフェ嬢ちゃんを探しに行ってくれるってんだ! ちったぁ力になってやろうと思わねぇのか!?」

酒場を沈黙が支配した。
少しして、一人の男がおずおずとカウンターに近づいてきた。やせぎすで、ずいぶんと額が広い。

「エルフェの嬢ちゃんは、少し方向音痴だよ」
「致命的ではないって事か?」
「ああ。だけど、時々変な所で出会う事があるよ」
「なるほど。助かる」

今度は、別の男が近づいてきた。

「南西方向の、危なっかしい場所で会った事があるぜ。 注意したら、本人は真西に向ってたつもりだったらしい。方向が少し南にずれちまうんじゃねぇか?」
「ふむ…」

もし本人が北西または西北西に向っていたと思っていたとしたら、真西または西南西方向に進んだ可能性がある。
そして、侏儒の縄張りに入り込み、侏儒と遭遇したとしたら…方位の感覚があれば、『南』が混じる方位を避けて逃げた筈だ。レルトの村がある北東方向に向ったか、真北に向って逃げたと考えるのが妥当だろう。
ただし、正確にその方向に逃げたとは考えにくい。普通の状態でも、森の中で正確な方位を保ち続けるのは簡単な事ではない。道は真っ直でない事の方が多いし、地形もある。 その上、人間の左右の歩幅には差があるため、方向を判断する基準がなければ、どうしても左右どちらかに進路がずれる。今までに聞いた話からすると、エルフェは右足が利き足なのかもしれない。左手側に進路がずれる癖が強いようだ。
だとすると、北東に向ったつもりが北北東もしくは真北、真北に向ったつもりならば北北西もしくは北西方向に向った可能性が高い。

だんだんと、捜索すべき場所が絞り込めてきた。

気が着くと、酒場の客は全員、レイギンを取り囲むように集まっている。

「頼む…村長が不憫で見てられねぇ。俺たちからも頼む」

誰かがそう言った。

「もう生きちゃいねぇかもしれねぇが、その時は形見の品くらいは持ち帰ってくれ」

案外、村長は人望があるようだった。

「あんたらがくれた情報に見合う働きは、してみせるさ」

レイギンはそちらに向き直ると、不敵な笑いを浮かべた。
突然、酒場の主人が口を開く。

「ああ、そうだ。森に入ったら気をつけな」

瞬時に、その場にいた者たちの表情が濁った。

「大将…またその話かよ…」

誰かが、うんざりした口調で言う。
まだ何の事かは判らないが、事ある毎に出てくる話なのだろう。武勇伝だろうか?

周囲の不平を無視し、酒場の主人は言葉を続けた。

「もう随分と昔の話になるがな、森の中に何匹か魔物が出やがった事があるんだ」

成程、合点が行った。今は酒場の主人をやっているが、元々はその時に雇われた冒険者なのだろう。

「何が出た?」

レイギンは尋ねる。
その場にいた者の殆どが、抗議の視線をぶつけてきた。この話になると長いらしい。

「牛頭に、巨大ムカデ、魔族っぽいのもいたな」
「妙な組み合わせだな?」
「俺には相手がなんだろうが関係なかったがね! 戦うとなりゃ、ぶっ潰すまでだ!」

そう言って主人はにいっ、と笑い、これ見よがしに力瘤を作る。
話の真偽はともかく、腑に落ちない点があった。

「森の中に遺跡でもあったのか?」
「いや、出たのは全部森の中でね」
「巨大ムカデはともかく、他は何もない所に沸くようなヤツらじゃない。 3匹まとめて相手をしたのか? 何人で組んでいたのかは知らないが、それなりに骨が折れたろう?」
「相手をしたのは一匹ずつだ」

少し気になる話だ。もし本当の話だとすると、色々とおかしい。一応、気には留めておいた方がよさそうだ。
酒場の客には申し訳ないが、レイギンは話の続きを聞く事にした。

「その話、少し詳しく聞かせてくれ」

酒場の主人が、わが意を得たりとでも言いたげな表情になる。
絶望的な表情が周囲を満たした。

「最初に出やがったのは牛頭だ。牛の頭の巨人が、ばかでかい斧持って森の中うろついてやがるってぇんだ。それでオレ達が雇われた」

黙って相槌を打ち、続きを促す。

「オレ達が牛頭とやったのは、村からほぼ真西、この辺りだ。村の近くまで来てやがったな」

そう言って、酒場の主人はカウンターに指を突く。ある程度は誇張があるかもしれないが、確かにかなり村に近い。

「他にもいるかもしれねぇって事で、一応その辺りを調べてみる事になったんだ。そこから少し北西に行った所、この辺りだ」

また、主人は指をつく。牛頭と戦ったと言った場所からほど近い。

「ここで巨大ムカデが出やがった。そこで仲間の魔術師が、さっき兄ちゃんが言ったみてぇな事を言い出してな。『近くに古代遺跡か何かあるのかもしれない。もう少し周辺を探索した方がよさそうだ』ってな。案の定、魔族っぽいヤツがいやがった」
「どのあたりだ?」
「この辺だ」

位置的には、巨大ムカデが出たという場所の南西すぐ近く、牛頭が出たという場所のほぼ真西だ。3匹の中では、村人が立ち入らないというエリアに最も近い。ただし、その範囲からは完全に外れており、随分と北の方だった。

「あんたのさっきの話からすると、それで終わりだったみたいだな。 近くに何かあったのか?」
「何も。侏儒が出るって辺りまでは探さなかったが、何もありゃしなかった。古代遺跡らしきものもねぇ。」
「ふむ…」
「そうは言っても、突然そんなヤツらが沸いて出たんだ。また沸きやがるかもしれねぇって事で、しばらく村に残る事になったんだ」
「報酬がどの位だったか知らないが、割に合わないとは考えなかったのか?」
「本当に、魔術師のヤツと同じような事ばっかり言うな、兄ちゃんは。んな事気にしてちゃぁ、冒険者なんぞ出来ねぇだろ? それにな…」

その先は予想が着いたので、レイギンは彼の言葉を遮る。

「いい。あんたがこの村に一人残ってる時点で想像が着く」
「つれねぇなぁ…」
「そこからが長いんだろう? 飲むものも食うものもなくなりそうだ」

苦笑しつつ、そう言った。

「奢ってやろうか?」

酒場の主人は、にやにや笑いながらそう返してきた。

「遠慮しとくよ。仲間を待たせてるんでね」
「あの嬢ちゃんか? なかなかの別嬪だが、どうよ?」
「まだ何とも言えないな。 こういう仕事に必要な能力が十分かどうか、まだ全然見えていない」

訊かれているのは別の事だと判ってはいたが、わざと違う答えを返す。
酒場の主人は、あきれたようにため息をついた。

「兄ちゃんけっこう堅物だな」
「教団からの依頼は、それなりに割がいいんでね」
「お得意様ってわけか。 確かに、食いっぱぐれる訳にもいかねぇしな」

酒場の主人は、半分くらいは納得した表情になっていた。しかし、ふと何か思い出したのか、神妙な表情に変わって口を開く。

「そういやぁ…仲間の魔術師が妙な事を言ってやがったな」

虚を突かれた表情が周囲を満たす。 どうやら、いつもは出てこない話らしい。

「さっきの話からすると、もう何十年も前の話じゃないのか? よく覚えていたな」
「忘れねぇくらい、頭に残ってるんだ。魔族っぽいのもいたって言ったろう?」
「ああ。 何かおかしな所でもあったのか?」
「魔術師のヤツはこう言ったんだ。『これは本物の魔族じゃない気がする。姿だけ似せた合成魔獣じゃないか?』ってな」
「禁じられた魔術に手を出した魔術師あたりが、作り出したものだったって事か?」

レイギンはそこまで言って、先程の彼の言葉を思い出した。

「その割には、古代遺跡もなければ、それっぽい施設も無かったったってわけだ?」
「ああ。訳が判らねぇ。だから覚えてんだ」
「なるほど」

一つ考えられるのは、彼らが探索しなかった場所…村人が立ち入らないエリアに、何かがある事だろう。
とはいえ、レイギンがここでいくら考えていても、埒が明きそうにない。むしろ、アルフィスに考えてもらった方がいいだろう。少なくとも自分よりは、魔術に造詣が深い。何かに気付いてくれる可能性がある。

「なんにせよ、気をつけるに越した事はなさそうだ」

独り言のようにそう言うと、レイギンは軽くジョッキに口をつけた。




思った以上に遅くなった。

酒場を後にしながら、レイギンはそう思った。 酒場の客が予想以上に協力的だったおかげで、随分と色々な話を聞けた。ただし、そのぶん遅くなってしまった。おそらく、もう夜半を回っているだろう。

空を仰ぐ。澄み切った星空だった。こんな状況でなければ、胸がすく思いがしたかもしれない。

だが、彼の心は晴れなかった。

(少し、ヤバイ状況かもな)

そう思う。
酒場の客の話を聞いていて判ったが、村人たちは単純に侏儒を恐れている訳ではないようだった。侏儒に対する怒りがくすぶっている。今までは実害とまで言える事が無かったために抑えられていたものが、少しずつにじみ出始めている雰囲気があった。 エルフェの死が確かなものとなれば、それが契機となって一気に噴き出してしまうかもしれない。

(エルフェってコが生きててくれればなんとか収まりそうなんだが…望み薄だな。 後味の悪い思いはしたくないんだが)

そう思いながら、レイギンは夜道を歩いて行った。

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