本山海底炭鉱施設跡(山陽小野田市)

掲載日:2011/05/04
海岸エリア西側の端からは、かなり密度の濃い笹薮が広がっています。
この笹薮の中には小道が通っており、進んで行くと本山岬公園から少し離れた所に出るのですが…。

「これ、偶然なの!?」という事もあったので、『本山岬公園』の他のコーナーとは趣向を変えてお送りします。
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笹薮の中の小道

海岸エリア西側の端から、笹薮の中に小道が続いています。

最初(2011/2/28)に本山岬公園に来た時、「この道、どこに出るんだろう?」と思って進んで行ったのですが…。
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レンガ造りの塔

ふと上を見たとき、左手側に何かの建物がある事に気がつきました。

なんとなく、レンガ造りっぽいですが…。
本山海底炭鉱関連の施設跡でしょうか?

近くまで行って見ると、踏み分け道っぽいものが建物の方に続いています。

「行けるかな?」と思ってみたものの、厳しそうです。

笹薮の中にあるのでわかり辛いですが、建物の根元はかなり下の方にあるようです。

その逆の方に、がんばって接近してみると…何かの入口? なんだろう、これは???

やぶこぎしないとムリそうだったので、この日は接近を断念しました。

そして後日…。

「ねえ、本山岬あたりに、海底炭鉱の入口跡とかある?」
斜坑坑口のこと?」
「それがあるのって、本山岬公園じゃないよね?」
「?」
「本山岬公園のすぐ近くに、何かの廃施設があるの。炭鉱関連じゃないかと思うんだけど…。」
「わからん…」
「歴史民俗資料館とかでわかんないかな?」
「当たってみる。写真オクレ」

わたしが話してみた相手は、山陽小野田市の郷土史にかなり詳しい方です。
調べてくれると言うので写真を渡し、簡単に全体像を描いて説明しました。

「こんな感じで、塔みたいになっててさ、上に鉄骨みたいなのが渡してあるの」
「う〜ん…」
「で、根元あたりにさ、ホラ、こんな感じで入口みたいなのあってさ…」
「窯みたいやね?」
「あの辺で出た石炭使って、セメント焼成してたとか?」
「そんな話、聞いた事ないけど」

とにかく調べるのを任せたところ、わりとあっという間に答を出してくれました。
すた・ばにらさんの『すた・ばにら(うべっちゃ支店) 1月度・ネタ探しのじでんしゃ探索』 に掲載された他のアングルの写真をわたしに見せて、

「これやろ?」
「そうそう! これこれ!」
「これ竪坑(たてこう)やん」

わたしは「竪坑ってなに?(汗;」な人なので、ちょっと調べてみたところ…。

竪坑とは?
地面から垂直、または垂直に近い角度で掘り下げられた坑道の事。
通気や坑内への昇降を目的とする。
昇降が目的の場合、しばしば『竪坑櫓』と呼ばれるエレベーター施設が竪坑の上に建てられる。

この建物、『本山海底炭鉱 第2坑口竪坑跡』(『竪坑櫓跡』?)のようです。

「でも、何で竪坑ってわかったの?」
「上部にこんなふうに鉄鋼が渡してあって、内部が吹き抜けになってるのって、竪坑以外にない」
「そういうもんなんだ…」

見る人が見れば、一発で竪坑だとわかるとのこと。
正体がわかったので、後日、もうちょっと接近して写真を撮影してくる事にしました。

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草原から
笹薮から向かって海岸側は、丈の高い草(多分ススキ)が茂る草原になっています。
「もしかしたら、そちらからは簡単に近づけるかも?」 と思い、別アングルからの写真撮影も兼ねて、草原側からの接近を試みてみました。

草原側からは視界が開けているので、わりと簡単に竪坑櫓上部を見る事が出来ます。

折角なので望遠で。
鉄骨が渡されているのがはっきりわかります。

別アングルから。
鉄骨のうちの一本は、傾いでいるように見えますね。

少し離れて。
完全に笹薮の中に埋もれちゃっているのがよく判ります。

竪坑櫓(たてこうやぐら)上部のレンガは、まだまだしっかりしているようです。

鉄骨の方は、錆だらけです。
でも、潮風にずっと晒されていたにしては状態がいいような?
さて、草原側からの接近は…
道も何もなかった上に笹薮の密度がかなり高く、建物までの距離がかなりある事がわかったため、断念しました orz
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突撃敢行(施設付近 踏み分け道側)
草原側からの接近に失敗したので、結局笹薮の中の小道から出ている踏み分け道を強行突破する事にしました。
笹を踏み分けへし折りながら進み、気分は某ムスカ大佐です^^;

だいぶ近くまで…もうちょっと!

笹薮の中から見上げて見ます。
かなり近づいたので、レンガ造りの四角い塔だという事がはっきりわかります。

やっとの事で間近まで近づけました。
入り口は、コンクリートで封がしてあるようです。

入口の上には、木が生えちゃってます。
ロープが結んであるって事は、以前来た人がいるって事ですね。

入口の付け根辺りです。
ちょっとわかりにくいですが、木の芽が何本か生えちゃってます。
再び某ムスカ大佐の気分になってしまったのは、言うまでもありません^^;

コンクリートの封印を上から。
入口と封印の隙間に、木の根が食い込んでしまっています。
このままの状態で何年かしたら、封印が解けちゃいそうなんですけど…(汗;
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入口の天井の上から

入口の天井の上から、竪坑櫓を見上げてみます。
アレ、右側の方の壁に…。

金属製の手すりが上まで続いています。
登れない事もないような?

一番下の手すりです。
右側の状態がかなり危ない…。

一番上の手すりも、状態がかなり悪そうです。
途中の手すりはしっかりしていそうですが…。
この手すり、入口の天井の上から、2m20cmくらいの高さにあります。
(わたしの身長は約171cmですが、腕をいっぱいに伸ばしても20cmくらい足りませんでした)
逆に言えば、ちょっとがんばれば手が届くわけで…ええ、「竪坑内部の写真を撮りたい!」という誘惑に負け、登ろうとしましたとも!(汗;
しかし、ジャンプして一番下の手すりの左側に手をかけ、途中まで体を引き上げた段階で、色々なケースが頭をよぎり…。
●ケース1:この状態で一番下の手すり損壊
 入口の天井までの距離が2m以内なので、安全に着地が可能。
●ケース2:一番下の手すりの上に登った後、手すりが損壊(下部の手すり)
 2m以上の距離を落下する事になる上、落下地点は平坦ではない。骨折の危険アリ。
●ケース3:手すり部分を登っている途中、手すりが損壊(中部・上部の手すり)
 3m以上の距離を不安定な姿勢で落下する事になるので、タダでは済まない。
●ケース4:手すりを上り切り、中を撮影しようとして建物外側に落ちる
 大怪我確定。ヘタすれば死ぬ。
●ケース5:手すりを上り切り、中を撮影しようとして竪坑内部に落ちる
 封はしてあると思われるが、もししてなかったら深さ数百m。まず間違いなく死ぬ。
脳裏に浮かんだのは、「かわいそうに。キミ、しんじゃうよ❤(by『シスタークエスト』のミモリ様)」…大人しく降りました^^;
参考までに、わたしの体重は60kgありません(昨年測定時:54.6kg)。一番下の手すりは左側なら、わたしの体重を十分支える事が出来ましたが…登ろうなんて考えない方がいいと思います。
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施設付近 海岸側
というわけで入口の天井の上に降り、そこから逆側(海岸側)に降りてみる事にしました。

入口の天井の上から。
見ての通り、結構高いです。

こちらは笹薮の状態が多少マシです。
竪坑櫓跡の周りは、ですけど。

少し判りづらいですが、入口のかなり上の方まで土に埋もれているのがわかるでしょうか?
本来は、3〜4mの高さがあるのだと思います。

左の写真から、少し離れた位置から撮ったものです。写真中央近くが坂になっていますが、その高さ分、入口が土に埋まっています。

こちらからも見上げてみます。
高さは10m近くあるでしょうか。

数十年の時を経ているのに、色んな部分がしっかりしている印象です。
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コンクリートで封印された入口
竪坑櫓の周囲を撮影し終えたので、元来た道を戻る事にしました。
入り口がコンクリートで封印されている様子を、正面から撮影しようかとも思ったのですけど、 「入口あたりの笹をかなりなぎ倒さなきゃいけないし、面倒くさいからやめとこ」。
それで、また入口の天井の上に登ろうとしたのですけど…。

登れなくなりました

何が起こったのかは、察してください(汗; 降りる時には全然大丈夫だったのに…。
仕方がないので、入口付近の笹を蹴り倒し、コンクリートで封印された入口を撮影してきました。
内心、「も〜! わかったよ撮ったげるから!」なんて毒づいてましたけど^^;

入り口は、しっかりとコンクリートで封印されています。
コンクリートの状態はしっかりしており、比較的新しいようにも見えるのですが…。

やっぱり、この木をそのままにしておくのはマズイのでは… と言っても、様子からして文化財指定されているわけではなさそうですし、管理している所があるようにも思えませんし(汗;
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後日談
この竪坑櫓が何なのかを調べてもらった時に、わたしが訊いた相手(仮に『郷土氏』としておきましょう)は、わざわざ山陽小野田市の歴史民俗資料館まで行って下さいました。
その時に郷土氏が聞いた話ですので又聞きになりますが、その少し前に、某地方新聞社の記者が歴史民俗資料館を訪ねてきたそうです。
「本山岬でこんな建物を見つけたが、一体何なのか?」と。
その方はこの地方の古いレンガの建物を取材して歩いているそうで、「また行ってみる」と仰ってたとか。

また、郷土氏がわたしが撮った写真を持って歴史民俗資料館に行った時、たまたま来館者の中に、山陽小野田市のありとあらゆる史跡をご存知の方がいらっしゃったそうです。
その方は、「そんな建物があるとは知らなかった。行ってみよう」と仰っていたそうで…。

歴史民俗資料館では今までこんな事はなかったそうです。それが時期を合わせたように立て続けに起こって…ちょっとオカルトチックな話になりますが、「あの竪坑櫓、世に出たがってるのかなぁ…」と、思ってしまいました。 以下はその時に言った冗談ですw
「『 第一斜坑坑口の方は周り囲ってもらって立て札まで立ててもらってるのに、こっちは笹薮の中に吹きっさらしの放ったらかしかよ!』とか思ってるんじゃない?w」
それは冗談としても、コレこのまんまにしとくのはマズイんじゃぁ…いろんな意味で

話は変わりますが、わたしが近づいた際にかなり笹を蹴り倒しましたので、しばらくの間は(2011/5月中くらいは)、少し近づきやすくなってるんじゃないかと思います^^;
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